2011年4月11日月曜日

アトピーとのおりあい方

2011年4月11日(月)
おひさしぶりです。
地震からはや一ヶ月。まだまだ余震(といっても、震度6・・・ふだんなら、これだけでも大ニュースのはずですが)もつづいて東北のみなさんはこわい思いをしていらっしゃると思います。
そんななかでも、ほっとできる場所、笑える時間が、たくさんみつかることを、ねがっています。

<入学>
おかげさまでふっくんは、入学式もぶじおわりました。
初登校の日は、ひっくんがはやばやと起きてきて「ふっくん、ねぼうだけど、おきれんのかな〜」「持って行くもの、用意したかな〜」「おかーさん、ふっくん教室までひとりでいけるよね」と、そわそわ。
かえってくると、「もう!おかあさん、今日、たいへんだったんだよ!」とひっくん。
なんでも、地域別であつまる教室移動の時間にふっくんが登場しなかったらしい。先生にいわれて、ひっくんはともだちと学校中をさがしまわったそう。
かたやふっくんは、「べつに、たしたことなかったよ」。ふっくんはさっさと職員室にいって、「迷子」を自己申告して、ひっくんたちが、息を切らして教室にもどってきたときは、すずしい顔で着席していたそうです。
さもありなんなエピソードでした(笑)。

とりあえず、学校の書類には、アトピーのため石けん手洗をはじめ、頻回の手洗いの強制はさけてほしいと書きましたが…どうなるでしょうか。

<「障害」観>
そうそう、あたらしく知り合った方と話をしていたら、「うちの子、コミュニケーションが苦手で、アスペルガーっぽいの。でも、女の子でアスペルガーって、いまどき致命的でしょ」と言われ、返事につまってしまいました。
「うちの1ばんめの息子、アスペルガーです。コミュニケーション、苦手です。苦労してます。2番目の息子は、誰にでも愛想がよくて気さくなんです。だれでも2番目が好きかとおもいきや、けっこうしゃべらない1番目を『誠実そう』なんてかってくださる方もいるんで…アスペだから、致命的ってこともないとおもいますよ。人によって好みもわかれるし」って言ってみましたが…。うまくつうじたかしら。
つぎの話題は「最近のわかいこは、みんなきれいね~。まー、ときにはアトピーの人とかいて、かわいそうだけど」でした…。
これまた、返事にこまりました。またこんども「うちの2番目は、アトピーですが」というのは、なんだかいやみなような気がして、「アトピーね~。たしかに容姿的には損かもしれないけど、でも、なにか痛みとかかかえてると人にやさしくなれるし」なんで、もごもご。

かなり一般的な反応であろうとおもいつつも、でも、どの程度までその方の世界観にふみこむかは、つねに考えものです。

きっと、その人にとって、「アスペルガー」とか「アトピー」は、それだけで「かわいそう」とまなざすに十分な対象なのでしょう。
でも、「かわいそう」って他者からまなざされる側はどうなのだろうとか、息子たち、そんなにかわいそうかな?とか…あらためて、いろいろかんがえてしまいました。
「かわいそう」なのだとしたら、そのようなまなざしにさらされること自体ではないのでしょうか…。
人々の「まなざし」と、生活困難程度は相乗効果があるように思います。ある「特性」が「生活を困難にする」から「かわいそう」とおもわれる。「かわいそう」な存在だから「ふつう」にあつかわれない…。だとしたら、「生活困難程度」が社会的条件によって軽減されれば、「かわいそう」とまなざされる機会は減り、「特別な存在」扱いされなくなるのでは…とか。
説明がへたですね。ごめんなさい。
要は、ある特性によって、当事者が「不便だ」と感じていることは社会的に便宜をはかる必要があると思います。つまり、私は、「不便がありそうな人がいる」=「かわいそう」という図式を採用する人がおおいのは社会的怠慢に起因していると考えています。だからこそ、「不便がありそうな人がいる」=「不便がなくなる方法を一緒にかんがえる」社会をのあり方をかんがえていけたらな~なんて思います。
もちろん、これを個人だけでやろうとすると大変で、だからこそ「かわいそう」におちついてしまうのは、十二分にありえることです。でも、「かわいそう」と関心をよせる人をまきこめる社会活動のあり方を、ぜひ考えていきたいです。

<ふっくんの「きもち」>
さてさて、こんなことを書きましたが、では当事者のひとり、ふっくんはどうおもっているのか!?
じつは、この週末、「ふっくんも、ぼくみたいにすべすべになるといいのに。なんで、くすりぬらないのかな〜」とみっくんが突然、いいはじめました。
あわてたのが、ひっくんで「みっくん!」とうでをつかんで、ほかの部屋に。きょとんとするみっくんに「いい?ふっくんのからだのことは、いわないの。ふっくんがいちばんよくわかってんだから」と。

ちょっと感動。
膝裏がひどいです。
「たまには、裏側うつそうよ」という私に
「ぼくは、きれいになった右足をみてもらいたい!」
といつものポーズを主張しました。
「よくなっていると思ってもらいたい」
そんなふっくんの気持ちが伝わってきます。
でも、それもそのはず。この3月末からまたふっくんは、かさぶたができるほどかきむしることもおおく・・・みかねたひっくんが「ねー、そんなにかくと、どんどんかゆくなるし、ひどくなっちゃうよ」と注意したところ・・・。
「だったら、おまえもなってみろ! かゆくもないくせに、わかったようなこと、いうんじゃない!!!」と、それはそれは、激しくいいはなったのです。
おそらく、ひっくんがふっくんに「おまえ」よばわりされたのは、そのときがはじめて。
ひっくんしばし、呆然。その後、目にじわっと涙が。
あわてたのはふっくんで
「まー、ひっくんも心配してくれたんだよね。でも、だいじょうぶだから。ぼくはなれてるし、いまはかゆいけど、いいときもあるから」と、フォローしていました。

あらためて、「ふっくんにとってアトピーはつらいのだ」と、認識しました。
う〜ん、そうですね…つらいというより、もっとも工夫を要する対象で、その試行錯誤に対して安易に評価されたくないといったところでしょうか・・・。
いずれにせよ、そんなアトピーと、けんめいにおりあおうとしているふっくんは、すばらしいとおもいます。
そして、ふっくんのアトピーが、生活困難につながらないためにできることはなにか。
親として、家族として、どんなことができるのか。学校に、なにを提案していくのか。どんな社会的な活動をおこなえば、ふっくんと同じアトピーの人が、安心できる社会になるのか。
また、今後もひとつずつ、具体的にかんがえていきたいです。

とりあえず、ふっくんは今日も、元気に学校へ。「おかーさん、学校は勉強するところなんじゃないの!? まだ、いっかいも学校で勉強してない!」と不満そう。はやく教科書つかって勉強したいのだそうです。
前向きでちょっとうらやましいくらいです。

また、報告します。

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