2010年12月30日木曜日

水道水があわないの!?

2010年12月30日(木)
<ふっくんの皮膚状態>
う〜ん…。悪化しました。もしかしたら、脱ステ以来(というか、脱ステ直後から10日くらいにあいだに大悪化して以来)、いちばんひどいかもしれません。
昨晩は、足からからだ、そして頭まで、かきむしっていました。こんなにかゆがるのって、ひさしぶりです。
「かゆすぎ〜」と、ひさしぶりに泣きました。
アイスノンもつかいました。

このところ、ふっくんは…
飲み薬として:サクラはちみつの亜鉛&鉄プルーンいりを1日2回(しーな先生が「亜鉛と鉄分補給してください。でも、調剤でだせないとおっしゃったので、ネットでてきとうにみつくろいました)
しーな先生ももらった、パンビタンを1日2回。
ビトンハイイリッチを夕食後に1回(ほんとは、パンビタン3回なのですが、しもやけにいいかと、ビタミンE
いりのビトンハイリッチを1回分、かえてのんでいます。ビトンハイはじつはわたしのおきにいり。きくかどうかふたしかですが、とにかく、すっぱくておいしいところが、きにいってます(笑))


ぬり薬として:じくじくには、ときどきマキロン
しもやけには、ユベラックス
かゆみのある湿疹には、亜鉛華軟膏1:ワセリン19 の混合保湿剤
かゆみがあって、かつ関節の内側の湿疹には、亜鉛華軟膏1:ワセリン4の混合保湿剤
(かさかさだけなら、放置)
といった具合です。
洗濯は、ずっと、クエン酸とペットボトルだし…

<原因はおふろ!?>
かんがえうる変化はひとつ。
クリスマスにおばあちゃんの家に泊まって以来、おふろになにかいれるブームがさり、なにもいれなかったこと。
これまでは、「芳泉」「ゆずの皮」「マザータッチ」のいずれかを、かならずいれていました。
水道水のみのおふろが、原因か…。

あとは…ふとん乾燥機をこの日つかいましたが、ひっくん・みっくんリクエストで、ひさびさの冬バージョン(つまり、ふとんにはいったときに、ぽかぽかの状態。いつもは、ふっくんがかゆくなるかもと、夏バージョンにしています。が、この前日みっくんが、おねしょをした関係もあり、なんだか布団を熱くしないと…とおもってしまったのです)。
それで、かゆさもましたとおもいます…。
ごめん、ふっくん。

このあと、ねるときにかゆがりました。
そのほかは…このまえ、雪がふりそうにさむい日に、息子3人と公園にいって帰ってくると…。ふっくんだけ、ほっぺたと手が、ところどころぷっくりふくらんでいます。「うわ〜、これ、じんましんじゃん」
寒冷じんましんでしょうか…。
あ〜。アトピーにくわえて、しもやけ+寒冷じんましんかよ!

とにかく、今日からは、またなにかおふろに投入して、はいります!

<脱ステ以来、なぜか鼻づまりが、解消しています…>
でも! ひとついいことが。
この秋から冬にかけて、ふっくん、ほぼはじめて、鼻づまりなし!です。
すご〜い。
あの、耳鼻科がよいの日々は、なんだったのか…。
脱ステと関係があるのかないのか…。でもとにかく、ステロイドの点鼻薬なしでも、抗アレルギー剤をのまなくても、鼻水、鼻づまりは、なくなりました。

しかも…よくわかんないですけど、薄着です。
ひっくんとみっくんは、長袖Tシャツにトレーナー、ながズボンで、これでもおとなからみると、さむそうなのですが、この冬、いまだふっくんは、トレーナーを拒否しています。
毎日、長袖のTシャツ一枚に、ジーパンだけ。
う〜ん…。からだがあたたまるから、薄着がいいの?
おばーちゃんは「こんなんでいいの!?」と、先日もものすごい勢いで、もう一枚、服をきることを主張していましたが、ふっくんだんこ、拒否。
「みっくんは、鼻水でてるけど、ぼくはでてないでしょ!」が説得のきめて(笑)。

あの、猛暑だった9月後半から10月、ステロイドをやめたばかりの日々に、長袖2枚重ねだったのに…。
この、雪がふりそうな冬に長袖1枚…。
よくわかりません。ただ、みなさんがいう「脱ステのときは、めちゃくちゃ寒い」というのは、ふっくんをみても、ほんとだとおもいます。

では…。
よいお年を!

2010年12月22日水曜日

「標準治療推進記事」はアトピー患者を分断する-「医療秩序」補足-

2010年12月22日(水)

<アトピーに関心がなければ、「標準治療推進記事」を語れないのか>
 さて、ありがたいことに昨日のブログに対し、「私にとって、そいういうわからなさではない」とメールをくださった方がいます。昨日のブログをいじりはじめ…ふと、「いや、これは、追記したほうがいいのではないか」と、補足説明をさせていただくことにしました。

その方は、「アトピーについてしらないから、内容が判断できない」とおっしゃいます。理由は、以下の2点です。
・読者対象が、アトピーになやむ人や関心のある人である
・アトピー治療現場に関する知識がないため、ぴーふけの立場の妥当性が判断できない

こう思っていらっしゃるのは、実は昨日メールをくださった方だけではありません。あちこちで、同じようなことを言われてきました。たとえば、「アトピーの『標準治療』をめぐる記事について、原稿をかかせてもらえないか」と雑誌社に打診したときのことわりの理由であったり、「ブログ、はじめました」と紹介したときの「読みつづけない理由」であったり…。
「しらないことには謙虚でありたい」という誠実なお返事だとは思います。が、私としては、「いや~。そうかもしれないですが、そうでもないんですよ」とお返事してきました。
たとえば、ときどきコメントしてくださるaccelerationさんは、おそらくアトピーそのものに関心があるわけではないと思います。「医療業界に共通する問題」に関心があるために、このブログを訪れてくださっているように思います。


<「標準治療」批判と「標準治療推進記事」批判は、同じではない>
 私はたしかに「こどもに安易にステロイド処方しないで」と思っています。「ステロイド依存になった人の存在を無視しないで」とも思っています。だからといって「標準治療はすべてだめ。アトピーの人はすべからく、ステロイドを使用しないで生活すべきだ」などとは考えていません。
 「ならば、なぜ標準治療を推進する記事を批判するのだ」と問われるかもしれません。それは、たとえ少数でも「標準治療」から疎外されている人がいるからです。さらに「標準治療」そのものの是非をこえて、「標準治療」に権威づけをする「医療秩序」「社会構造」に問題があるとおもっているからです。

<「発話の背景」に着目する>
もう一度、昨日の出発点にもどります。
「朝日新聞の記事を信じてはいけないのか?」
この質問は表面的には、「標準治療は、ただしくないの?」という問いかけです。
しかし、ある発話には、背景があることを昨日説明しました。この問いかけの背景にあるものはなにか。
それは、「医学に対して疑義を呈する/医学的権威に納得しない」というスタンス自体が「意味がわからない」という言明、つまり「医学の権威にひれふさないあなたはおかしい」という批判があるのではないでしょうか。
だから、「医学の権威にはむかってまで批判するあなたは、そうとうな「科学的根拠」をもっているはずだ」
「でも、私には、科学的知識がないから、『医学の権威』と『医学にはしろうとであるあなたの意見』を比較し、判定することはできない」「さらに、あなたが依拠する『脱ステ医』は医学界で認められていない」「よって、安易にあなたには賛同できない」という論法が成立します。
こうした「医学には権威があるはずだ」「科学的真理は一つだ」というような発想は「本質主義」的です。

「本質主義」的発想をする人、つまり「医療秩序」に従順な人に対し、いくら「だって、標準治療でなおらない人がいるんだよ」とか、「ステロイド依存になる人もいるんだよ」などの「対抗言説」をもちだしても、納得はしないでしょう。
おおくの場合、あいまいに「へ〜。むずかしんだね。アトピーのこと、よくわかんないし…」と言葉をにごすだけで、その人はあいかわらず「だけど、朝日新聞が『ただしい』って記事にしてるわけだよ。明らかにまちがっていることなら、のせないはず」と信じつづけるのだとおもいます。
世の中は、「白黒つけられないことがたくさんある。おおくがグレーゾーンでなりたっている」と経験的に学んできたであろうおとなが、なぜ「医学」となると、「白黒」が明確だとナイーブに信じるのでしょうか…。これがまさに、「医療秩序」のなせるわざだと思います。

「『標準治療』の是非が自分の中ではっきりしないと、ぴーふけのブログの評価はできない」とする考え方は、「医療秩序」にのっとった「ふるまい」の選考結果であるといえます。

では、もし、「医療秩序」に従順な人の身近に、「標準治療」ではたちゆかないアトピーをもつ人や、「ステロイド依存」におちいった人が出現してしまった場合、どうするのでしょうか。
おそらく、「標準治療」に反した行動をまずさがします。次に「例外化」をします。もし、その数がおおくて、どちらの方法も使えないとなったら、そのときは「標準治療、全否定」にむかうのではないでしょうか。
ある意味、ちょっと危険です。

そうそう、「では、アトピーに関心がなくても、ぴーふけのブログを評価できるケースは?」と問われる方もいらっしゃるでしょうか…。アトピーにかぎらず、医療業界の中の「標準治療」との距離の取り方をきめれば、「評価」できます。むろん、その場合「肯定的評価」も「否定的評価」も可能です。あ~、でも、距離の取り方をきめるには、「医療業界」を相対的にみる習慣がないと困難かもしれません…。(accelerationさんは、「業界内」の方だそうですが、かなり距離をおいて「業界内動向」をみていらっしゃるようにおもいます…)


<「標準治療推進記事」は、アトピー患者を分断する>
しつこいですが、私は「標準治療」は一定の効果をあげているのだろうと推測しています。しかし、標準分布には、つねに両端があるのです(それがなければ、標準分布として成立しませんし…)。「標準治療推進記事」は、その両端にいる人を切りすてます。
「標準治療」が喧伝されれば、それに従って状態を保っている人には優越感を与えますが、それに「従えない」「標準治療ではたちゆかない」両端の人たちは、社会から「非科学的」「自己責任」として批判され、沈黙をしいられるのは昨日書いたとおりです。そして2CHにときどきあるように、ステ使用派と脱ステ派が、はげしい舌戦をくりひろげることに…。不毛だと思います。「信条」をかけた戦いは、おうおうにして不毛です。それによって、アトピーは悪化してもよくならなさそうですし。「信条」をかける代表的な戦いとしては、宗教戦争がありますが、だいたい悲惨なだけで、いいことないし…。勝ったほうの勢力拡大と満足感だけ!?(すみません、脱線しました)

ひとつだけ、私が自信をもって断言できることがあるとすれば、それは「標準治療推進記事は、アトピー患者を分断する」ということです。

私が問題にしているのは「標準治療“だけ”が正しい」とするような医師のあり方であり、それを支持する想像力のない記者のあり方についてです。

私は、「標準外」の人をきりすてるような社会のあり方に、異議申し立てをしつづけていきたいと思っています。これは、アトピー患者だけの問題ではありません。すべての社会的マイノリティに共通する問題です。

メールをくださった方、「仮想敵」になってくださって、ありがとうございます。
さて…「仕事があります!」とあれだけさわいでいたのに、昨日からブログにほぼまる一日以上ついやしてしまいました…。

次回は、29日ごろに。
それまでに、もう息子たちがどんなに興味深い行動をとっても、どんなに思考を刺激するメールをいただいても、ふっくんのアトピー近況しか、かきません!(と、自分を戒め…(笑))

すてきな年末をおすごしください!

2010年12月21日火曜日

医療秩序-「標準治療推進記事」批判-

2010年12月21日(火)

<おふろで…>
まだまだ、「芳泉」ねづよい人気です。もっとも…ふっくんのみならず、私までこの冬はしもやけもできちゃったし、効用のほどはどうなのか!? よくわかりませんが、とにかくおふろが赤くなるのが、人気の秘密…(それだけかよ〜(爆)だとすると、コストがかかりすぎです…(涙))。
でも、みっくんも「きょうも、『シャア』おふろにいれようね〜」とはりきってますから、当分、つづきそうです
私の自信作、ザク。
すごい不評ですが…
(もともとは「芳泉」、むすこたちによって「赤いの」とよばれていました。で…「シャア」に…(わからない方、ごめんなさい! 写真がヒントです!これは、「ザク」ですが…(笑)))

脱線しました。
で、そのお風呂で、みっくん、唐突に「あ〜〜〜〜っ!!! ふっくん、すごくきれいになってきたね〜」と感嘆したように言います。ひっくんはもうちょっとさりげなく、ふっくんがおふろに入ってきたときや出て行くときに、「あっ、よくなってんじゃん」と、こちらもやはり、たいてい一回言います。ひどくなっていても、言います。
私は「機械的にいうなよ」って、ふっくんの反応をうかがうことがあります。
「みっくん、それちょっと、驚きすぎじゃない? わざとらしくないか?」なんて思うこともあります。
が…。例外なく、その言葉をかけられたときのふっくんはうれしそうです。
返事をしないときもありますが、顔つきは「へへっ」と笑っています。
あきらかにひどくなったところがある日は、「うん、そうそう。ここはちょっとひどくなっちゃったんだけど、こっちは、すごくよくなってるだよね」と意気込んで、なおってきた場所をさし示します。
そして、再び、遊びにもどっていきます。

ひっくんとみっくんは、なにをおもって、ふっくんに毎日、そうした声をかけているのでしょう。
もしかしたら、それはふっくんの肌状態への評価ではなく、ふっくんへの応援メッセージとしてはっしている言葉なのかもしれません。
だからこそ、ふっくんも「よりしのぎやすくなった部分を積極的に評価していく」ことにしているのかも…。

今晩は、みっくんが先に歯磨きがおわり、「ふっくん、アイスノンだしとこうか?」とききました。
ふっくんが「最近、そんなにかゆくないから、いらないよ」と返事をしていました。
ひとりっこの私にとって、ちょっとうらやましい光景です。


左足膝下の皮膚はもりあがっています。
じくじくも、なおりません…。

 なお…相変わらず、足マッサーの日々はつづいています。が…ひっくん・みっくんの足は、冷たくてもマッサージすればすぐにぽかぽか温かくなってきます。が…ふっくんの足は、マッサージしてもじっとり汗ばむだけで、なかなかあたたかくはなりません。冷え性の人がしもやけになりやすいのは、足がつめたいのに足に汗をかくからと読んだことがあります。う~ん。
ふっくんは、「もう、アトピーどうでもいいけど、しもやけどうにかしたい!つめたくなるとめちゃくちゃ痛い」と怒っています。アトピーがその程度の存在になって、よかったね(笑)


<社会的相互行為としての発話>
さて…息子たちの会話をきいていて、会話とは「会話分析」でいわれているように、発話が単に現実を表現しているわけではなく、その場における一定の機能を担っていること、さらにそれが受け手に了解され、それに応答されることによって、はじめて相互行為として遂行されるのだと実感しました。

ごめんなさい。いきなりどうしちゃったの!? でしょうか…。
実は、「ぴーふけのブログ、ときどき意味がわかりません」というメールをいただくことがあります。
「そんなむずかしいこと、書いてないし、書けないし…」と思っていましたが、先日「朝日新聞の記事をどうして信じてはいけないの?」ときかれ、やっと私なりに「これか~!」と気づいたことが…。


これは、たとえば…「やっぱり、子育ては女性の仕事だよね」「うん、母性愛があるから」なんて話でもりあがっているときに、「母性愛って、本能ではなく、学習結果だよ」とつっこまれたときの「意味のわからなさ」に通じているように思います。
「母性本能」を前提として話している人に、「母性は本能じゃない」とつっこむことは、会話の行方をみうしなわせます。なぜなら、「前提」としている人にとって、そのつっこみは、複数の思考を同時にせまるからです。
「母性本能」それ自体の真実性への問い、「母性本能言説」を信じる自分の立場への問い、会話の流れを中断されたことへの違和感…などなどです。
通常、私たちはあまりにもその前提を信じていると、ある問いかけが自分に複数の思考を促していると関知することすら困難になります。どこから、考えていいのか検討もつかなければ
「意味がわからない」となげだす他ありません。
というわけで…江原由美子『ジェンダー秩序』(勁草書房、2001年)の2章「ジェンダーの社会的構築」(pp.26-61)に基づいて、説明してみます。

(関心のない方は、次の<「標準治療」キャンペーンの罪>にとんでください)


<二つの言説分析-「ジェンダーの社会的構築」より>
江原さんは、「ジェンダー」を社会構築主義の立場からかんがえています。「なんでもかんでも社会構築主義で切れるとおもうな!」という議論はありますが…「既成概念」を問うためには有効な手段だと私はおもっています。 

「社会構築主義」について江原さんはバーを引用して定義しています。
「『社会的世界は、社会過程の所産であるので、その世界や人々には何らかの決まった、一定の特質はありえない』『事物や人々を今ある通りにしている、それらの内部の『本質』は存在しない』という立場から社会的世界の考察を行う立場」(p.28 )をとりあえず、社会構築主義としましょう。

で、この「社会構築主義」では、言説分析ということをよくします。江原さんは、バーをもちいて、これには二つの立場があると分類しています(p.29)。
①広く流布し、多くの人々にとって「利用可能」になっている諸言説
②具体的な社会的相互行為の場において、行為を遂行することに関わる諸言説
この分類をしたバーは、①を「構造主義やポスト構造主義などのフランス哲学に基づくもの」、②を「言語行為理論・会話分析・エスノメソドロジーの影響下にあるもの」(p.31 )と区分しているそうです。

ものすごくおおざっぱにいってしまえば、①は法律や宗教、医学や心理学、哲学などがどんな言説をうみだしてきたのか、どんなものが「真理」として人々に使用されているのか、に関心をもつ立場です。たとえば…「女性には母性本能がある」とか「女性にはペニス願望がある(フロイト)」とか、いまでは「常識」と理解されている「言説」にはなにがあるのか…。その「言説」がどのように私たちの行動を規定するのかといったことです。
行動規定の具体例としては、「女性には母性本能がある」という言説は「こどもといる幸せな女性」という「イメージを形成」すると同時に、「女性が子育てをすべきだ」という「義務」と「女性は子育てを優先していい」という「権利」が発生します。
と同時に、女性とは異なるカテゴリーにはいる「男性」に対しては、「異なる権利と義務」、つまり「子育ては女性にまかせていい」という「権利」、「そのかわり働け」とう「義務」が発生します。
つまり、一つの言説は、社会の人々に対して「イメージ形成」と「カテゴリーによって異なる責任と義務」とを生み出すことになります。

②はもうすこし複雑で、ひとかたまりの会話の流れの中ででてくる言葉の背景には、どんな「常識」があるのか、その「常識」のために、どんなイメージや行動規範が形成されていくのかに関心をもつ立場です。この場合、「言説は、『相互行為を組織化する』働きをするものとして把握」(p.44)されています。どのように「組織化」するのか。それは、「相互行為の遂行に関連して行為者が成員に対して適用しうるカテゴリー化装置」(p.36)の中で、なにを選び取り、どう行動するのかに関係します。
カテゴリー化装置とは、発話者をどう分類するかといった問題です。私はたとえば「中年女性」「母親」「有職者」などなどの属性をもっています。
さて、あるとき、私が家をかりよう不動産会社をたずねました。社員は、ひたすらダンくんにむかって話しかけます。こうした行動は、「借り主としてふさわしい有職者」と自身をカテゴライズした私を社員は無視し、「借り主としては不適切な中年女性」とカテゴライズしたと判断できます。実際、「女性とは契約しない。名前だけでも男性名義に」といわれ、さかんに「同じ男性として」の賛同をダンくんに求めていました。
つまり、このときの一連の発話にうめこまれていた言説は「契約履行者として、女性は不適切である」というものであり、「男性」としての「義務と責任」を同志としてダンくんに求め、それを越境しようとする私に、「女性」としての「義務と責任」を想起させようとする行為があります。

江原さんが『ジェンダー秩序』の2章でいいたかったことは、「言説」が人々の会話や行動を規定し、また人々の会話や行動選択は「言説」によってあらかじめ規定されていると、だから「ジェンダー(性別役割など)」が秩序化されているという指摘です。


<「標準治療」キャンペーンの罪>
さて、私は医療もやはり言説によって規定されているのではないかと思います。
「ジェンダー秩序」の中に「男役割」「女役割」がうめこまれているとするならば、「医療秩序」として「医者役割」「患者役割」がうめこまれていると想定できるとおもうのです。
そして、この「医師」と「患者」は、「男」と「女」のようにやはりその「イメージ」とわりあてられる「義務と責任」は同じではありません。
「医学は科学である」「医者は専門家である」などという言説があります。

*なお、江原さんはギデンズの<専門家システム>も紹介しています。「科学技術上の成果や職業上の専門家知識の体系のこと」をいい、私たちは、本当に安全なのかぼんやりとした知識しかないにもかかわらず、「専門家知識」を「信頼」し、「対面的行為を行ったこともない人々との間に」、「社会的関係を構築していく」(p.53)と書いています。
私たちが、なんとなく信じてのる電車、上層階までいく高層ビル、正義だと信じてかけこむ警察、治癒してくれると信じて受診する病院、知識がえられると信じていく学校…などが該当します。それらの「専門家知識」はおうおうにして私たちの信頼に応えてくれますが、ときどき「脱線事故」「欠陥工事」「警察の不祥事」「薬害」「アカハラ」などで裏切られます。ニュースにならない小さな裏切りは、もっと頻繁に、身近におこっていることは、おそらくその組織内にいる人なら、みなれた光景だと思います。

「医者」とは、一般に「専門家」としての権威を認められています。医師のイメージは、「専門職」「科学的」「知的権威」などではないでしょうか。
その対象となる存在、「患者」はどうでしょう。「医師に助けを求める存在」…基本的に、医学に「無知」な存在としてイメージされています。
だからこそ、「患者」とは「医師」によって「啓蒙」される存在となりえます。そして、これらの役割が転倒することのないよう、「医療秩序」は私たちの生活にうめこまれているように思うのです。

この冬、朝日新聞や読売新聞は、アトピーの特集において「標準治療の推奨」記事を書きました。「アトピー性皮膚炎の治療にステロイドを用いることは、医学的にうらうちされている」という言説の流布に一役買ったといえます。
これは、「専門家」の知識を、「専門家」のスポークスマンとして新聞が、無知な「非専門家」を「啓蒙」する行為だと考えることができます。
この記事は、暗黙裏に、医師には、「標準治療を保証する義務」と「医療者としての権威を示す権利」を与える一方で、患者には、「標準治療に従う患者としての義務」と「標準治療によって治癒する権利」を与えました。

一般の「非専門家」である読者は、新聞の紙面を自分の「知」としてとりこむことで、「専門家」に一歩ちかづけるという幻想をいだきます。
新聞記事上の「標準治療」の存在を知っている自分は、「標準治療」をしらない人々より、一歩「専門家/医師」に近い存在だと考えるわけです。
するとどうなるか…「標準治療」を否定する人、しらない人を、自分より「非専門家」であると認識し、その知識を「啓蒙」しようとします。
つまり…「標準治療」を言説分析的にかんがえれば、人々のイメージの中で
・ステロイド使用に賛成する人=医師=科学的知識の持ち主
・ステロイド使用を危惧する人=患者=無知な人
という図式が成立してしまっています。そこで、「患者」の立場にたつ人が、ステロイド使用に賛成すれば、「患者にしては、勤勉な人/誠実に治療にとりくむ人」と「ふつうの患者」から、一つステップアップします。しかし、否定すれば「無知な人」=「患者のくせに不勉強な人/治療に熱心ではない人」というイメージが強化されます。
いくら、患者がふつうの医者なみに勉強していたとしてもそれは、了解されません。「患者」というだけで、すでに行動規範が規定されているからです。

では、医師が、ステロイド批判をしたらどうなるのか。これはみなさんもよくご存じのように「アウトロー」「逸脱者」扱いされるだけならよいほうで、「アトピービジネスの加担者」「医師として不勉強」などと罵倒されることになります。おそらく、「医師」としての「権利と義務」を放棄した存在とイメージされるからです。
(むろん、現実にステロイド依存でくるしみ、脱ステですくわれた患者さんやその家族の人は、ちがいます。が、それは残念ながら多数派の人ではありません。しかもその脱ステ者は、社会ではみえにくい存在です。アトピーに関心があり、かつパソコンの扱いになれている人々には、「みえる」存在というだけです…。「みえにくさ」の理由は以下で書きます)

さらに、新聞記事の中では、くりかえし「医師の指示にしたがってステロイドを使用すること」、かってにやめたり、塗る量や薬の強さを「素人判断」でかえるなと強調しています。この記事がつたえるメッセージは「患者たるもの、医師に従順であれ。それでなければ、苦しむのは患者であるおまえだ」との脅迫です。

くりかえしますが、「標準治療」キャンペーンは、医師には「標準治療に責任をもつ義務」と同時に「医師としての権威を示す権利」を与え、患者には「治癒する権利」を与える一方で「医師に従順である義務」をおしつけます。
では、「治癒する権利」を与えられたにもかかわらず、治癒しなかった場合、どうなるのか。「標準治療」キャンペーンをになった人たちは、反省してくれるのでしょうか。
残念ながら、反省しません。彼らは「あなたのアトピーが人並みはずれて重症である」と判断するか、「医師の指示をまもらなかった」あるいは「医師の選択をまちがえた」と批判するでしょう。いずれにせよ、「治癒しない患者」場合は、たとえ「標準治療」にしたがったとしても、「権利放棄した存在」=「自己責任を問われる」ことになります。


「標準治療」キャンペーンの罪、それは、たんに「ステロイド依存にくるしむ人がいる現実を隠蔽する」それだけにとどまりません。
「標準治療」を新聞社が支持するということは、「標準治療に従順であれ」(=「医学に従順であれ」)という言説を強化し、治癒しない人を「自己責任」としてせめることに加担しているのです。
朝日の記者が特集した理由を「アトピー治療に対する疑問にこたえたい」「現在の医学で分かっている情報をできるだけ正確にお伝えしていきたい」と書いていますが、その「疑問に答える」「情報を正確に伝える」という態度から、実際にかかれた記事は、大きく逸脱しています。


ノブコフさんが以前、「脱ステ」をすると話したら上司にひどく叱られたというコメントをくださいました。上司が「一般常識」の持ち主であれば、新聞が「標準治療」を喧伝する以上、当然の帰結だと思います。
上司は、「標準治療」という存在を知っていることで、自分が「知的権威」に近い存在だと信じていたと思います。ノブコフさんの「脱ステ宣言」は、表面上は「ノブコフさんの治療方針」についての話だけです。しかし、上司には「あなたの信じている「知的権威」を、私は信じていない」、つまり「上司である自分の『知識体系』への批判」として感じられます。
上司にとっては、もはや問題は、ノブコフさんのアトピー治療ではありません。自分の「知識」をとわれる問題へとすりかわります。「ぼく、そういうことには、知識がないんだよね」と気負いなくいえる人にとって、ノブコフさんの「脱ステ宣言」はなんら問題にならないでしょう。が、おおくの人は、自分の信じていることを疑問視されたとき、いごこちの悪さと、不安感をいだきます。自分の信条を変更するよりは、人を批判する方が、自分の安定感は保てます。

<専門家システム>を疑うことなく信じている人は、専門家の提示する意見を貴重なものとして無批判にうけとります。それは、自分で考えることを「専門家」に委託した状態=思考停止状態です。12月6日に、中真生さんの論文を引用して書きましたが、疑うこと、問いをもつことなしに、人は思考できません。
「標準治療」を信じている限り、人は「権威ある医者がいうのだから」と自ら考えることを放棄できます。そこに「脱ステ宣言」をされたら…その人は自らの思考停止を、専門家依存を、怠慢だとして批判されたとうけとめるかもしれません。
さらに、「標準治療」に異議申し立てをするという行為は、「医学」という権威への異議申し立てと同義だとかんじ、「規範秩序」からの逸脱、「権威への反抗」としてうけとめる人もいると思います。「権威」を認め、「規範秩序」を維持したい人、誰かにかわって考えてもらたい人にとっては、それに反抗する人々はやっかいな存在です。

ブログや掲示板などで、ときどき、アトピー当事者でもその近親者でもなさそうな人が、脱ステをやっきになって攻撃する現象がみられるのは、こうした行動様式にのっとっているからだと考えられます。

結果的に、これらの「標準治療キャンペーン」によって、またおおくの脱ステ患者さんたちが、「沈黙」をしいられることになったと思います。あーちゃんのいう秘密結社、アンダーグラウンドの世界にもぐりこみたくなる…。そして、また「脱ステ患者」は社会から「みえにくい」存在となってしまいます。

新聞記者さんたち、反省してください。


<蛇足ですが…「医療秩序」が会話を規定する実例として>
息子たちのおふろでの会話をもう一度かんがえてみます。
「よくなってるね」とひっくんとみっくんの発話を、①の観点でみるとすれば、「病人とは回復すべきものである」という「言説」にのっかった発話だと措定できます。その背景には、「近代医学の高度な発展」「病気の状態を判断し、治療方針を決定する権威としての医学」といった言説もあるとおもいます。
②の観点からでは、どうでしょう。みっくん、ひっくんの発話は、どうやら場面転換や会話の変更を求めるものではないようです。ある意味「お約束」の履行。
この「お約束」の履行の背景には、「その言葉をいうと、ふっくんが喜ぶ」という了解事項があります。
ひっくん・みっくんの発話が「病人は回復すべき」にのっかっていて、さらにふっくんを「患者」という役割にカテゴライズしているとすれば、ふっくんの応答は、「回復にむかっている患者」というイメージをうけいれ、役割を遂行していることになります。つまり、「回復する」義務と責任をひきうけているといえます。
彼らの会話は、「病人は回復すべき」言説にのっかったものであるといえます。
言説とは、こうして幼いこどもといえど、私たちの生活を規定していく力をもっています。

むろん、ふっくんには「いちいちうるさい」とかえすなど、「怒る」という選択肢もあります。この場合、「よくなっている」という発話はふっくんによって「回復が遅いことに対するいやみ」と了解されたと解釈できます。しかし、これもやはり「回復する義務と責任」といった図式にのっかった行動選択といえます。

この図式からのがれられる唯一の応答としては、たんたんと「きれいになったかどうかなんて、関係ないんだよ」といいきり、以後ひっくん・みっくんの呼びかけに応じないという態度しかないように思います。
しかし、この応答は、人間関係を複雑化されます。予期される行動原理から逸脱するわけですから…。うちでもっとも、愛想のいいふっくんに、それは期待できないな~(アスペひっくんなら、無意図でする可能性高いですが(笑))。
でも、いつか「病人は回復すべき」言説からの脱却を意識する日がくれば、行動をおこすかもしれません(笑)。

2010年12月15日水曜日

読売新聞の記事

2010年12月15日(水)
<「ステロイドの誤解を解く」って…>
職場で、「こんどは、読売がアトピーの特集やってるよ」と話しかけられました。
「なんで、こんなに次々…。ほんとキャンペーン開催中ってかんじだよね」と…。
さっそくネットでしらべてみて…がっくり。深い徒労感をおぼえました。

「ブログの更新は週に1回ってきめたし」とスルーしようかとおもいましたが、moto先生は「読売新聞の2010年12月14・15日の記事」として、感想の声をとどけようとよびかけています…。
彼の脱力感は、おそらく私の数十倍だとおもいますが、こうして声をあげてくださっている…。
そうおもって、私もさきほど、読売新聞にメールをおくりました。
(朝日新聞のときは、「冷静かつ客観性」をこころがけましたが、こんどは「いいかげんにして。もう、うんざり。もっと視野をひろく勉強してください」的なげやりメールになっちゃいました(爆))

メールアドレスは、以下です。
iryou@yomiuri.com

<きょうのふっくん>
おかげさまで、なんだか元気です。
せっかく、にわとりのひっかき傷がなおってきたとおもったら、こんどはスプーンでひっかかれて帰ってきました(笑)。
保育園児、まだまだ、感情を言葉にするのも苦手だし、人づきあいも練習期間ですよね。
保育園の先生も「ふっくん口達者だもんね〜。あれ、ふつーの6歳児はついてけんくて、手がでちゃうんだよね…」と笑っていました…。ごもっとも…(爆)。
いまのうちに、やって、やられて、反省して、自己主張の仕方とか、けんかのおさめ方とか、まなんでくれるといいな〜とおもいます。

肌状態は、良好です。本人も「かなりよくなってきた」と満足そう。
また日曜日くらいに、写真をとってブログ、かきます。
おやすみなさい。

2010年12月11日土曜日

アトピー治療史の必要性-社会問題として提起するめに(つづき×2)-

2010年12月11日(土)
<ステロイド依存性のアトピー湿疹が、「ふつう」になる日がくる!?>
しーな先生との会話が頭にひっかかっています…。
「これからのわかい皮膚科医は、おとなのアトピーゆうたらもうステロイド依存性の湿疹が混在している状態しかほぼみられないわけですから、それが、おとなの「ふつう」のアトピーとおもってしまうでしょうね…」という言葉…。
それが現実になったら、ステロイドの依存性を危惧し、脱ステを支援する医師がますますやりにくくなっていしまいます…。
「むかしのおとなのアトピー」の写真をみせて、「本来、アトピー性湿疹とはこのようなもであった」と論証しても「時代によって湿疹の状態はかわりうる」と「標準治療」推進派は主張してくるでしょう。
「ステロイド依存性の湿疹はみわけがつくはずだ」と主張しても、「ステロイドのせいだとおもいたいから、そうみえてくるだけだ」ときりすてるかもしれません…。


<アトピー治療の歴史を再構成してみたい…>
木曜日、しーな先生にあいにいく電車の中でよんでいた本にこんな一節がありました。
「個人が談話をつくっているのではない。むしろその逆である。談話は個人を超えている。たしかにあらゆる人々は談話の形成に関わっている。しかし、いかなる個人も、いかなる個々の集団もその談話を規定することはできないし、最終的にできあがるものを正確に意図することはできない。基本的に、談話は歴史的な過程を経てできあがるのであり、独立するのである。談話は、個々の主体が意識しているもの以上の知を伝達する。(たとえば特定のテーマ群にたいする)ある社会の知を伝達しようとするならば、その知がどのように形成されたか、あるいはどのように発生したかを再構築しなければならない」
ルート・ヴォダックほか『批判的談話分析入門』(三元社、2010年、p.57)

「これ、つかえるな~」とページをおってしまいましたが…。アトピー治療にまつわる「言説」あるいは「談話」にも適応できます。

「アトピーにはステロイド」という「標準療法」という知は、どのように形成されたのでしょう。いつどのように発生したのでしょう。この点は、現在の状況をみきわめるために非常に重要なポイントかもしれません。

<アトピーの歴史>
たしか、『第三の脳』を書いた人が、アトピー最初期の患者さんで、それまでわけがわからなかった皮膚状態であったのに、「アトピー」と名付けられ、ステロイドがだされたときは、うれしかったと書いていたような…。それって1970年代? いや、もっと前でしょうか…。
検索してみると、よしだこどもクリニックの院長さんが、「アトピーの歴史学」を書いていました。
これによると…日本に紹介されたのが、1960年代、ステロイド軟膏が開発されたのは1953年、1970年代まではアトピー患者の主流はこども、1980年代後半から成人のアトピー出現(って、1970年代のこどもがおとなになって、なおらなかったってことですかしら…)。
いや、でも、いつから「アトピーにはステロイド」が標準化されたのか、そのときの医者はどうおもっていたのか(画期的!これで、患者をすぐにらくにさせてやれる!とかよろこんだのかしら)、1960年代の主流の治療はなんだったのか…アンダームとか亜鉛華軟膏だったのか? いや、すごくりしりたい…。
そんな昔の資料をあつめて現在の「標準治療へいたる道」をえがくことで、今の「標準治療大合唱」の意味が理解できるかもしれません…(いま、しりたい! あした図書館にこもりたい…でも、これも3月以降の課題にします…)。

<「脱ステ」の歴史>
もう一方、「脱ステ」の歴史はどうなのか…。むかし、個人的におしえてもらったmoto先生のむかしの小説が、ライフヒストリー的でつかえそうな気が…(おしえてくだった方が「この話はもう深谷先生おもいだしたくないかも…リンクはらないで」と書き添えてくださったので、リンクははりません)。
その小説は、周囲の医師や看護師さんが「ステロイド嫌う患者がめんどくさい。どうにかしてほしいよ…」「こんな事態になったのは、マスコミがステロイドを問題視するせい!」と憤慨するなか、「いや、これだけ多くの患者がステロイドを拒否するということは、マスコミの影響だけではないだろう。なにか問題があるはずだ」と考え、患者の意向を尊重しつつ、やめたくなった理由をききとろうしはじめる。しかし、その行動が周囲の反感をかい孤立していく医師の姿がえがかれています。

「小数派影響源」(笑←小坂井敏晶さんの引用です。ブログで詳しく書いたのは…10月26日でした)かもしれませんが、患者さんたちは、いつ、どうして、ステロイドをうたがいはじめたのか。これもアンケートではなくインタビューとしてきいてみたい…。
江崎ひろこさんがステロイド裁判をはじめたのが1983年、それから10年以上たって川崎ステロイド裁判がはじまります。
石川憲彦さんは『子育ての社会学』(朝日文庫、1990年)のなかで、「アトピーにつきあう」(p.130-137)って文章をかかれています。ここに登場するEくんのおかあさんが、皮膚科につれまわしいろいろためしてみますが改善しない…。ステロイドでいったんはおさまっても、またすぐにもっとひどい症状がでる…。ぼりぼりかいているのに「えっ? かゆくないよ」というEくんに、おかあさんはついに治療を放棄します。たぶんこれがはじめて本になったのが、1985年なので、その数年前のできごとだとおもいます。
私の学生時代の友人たちのなかで「ステロイドやめた」という話をきくようになったのも、1980年代(もっとも、それ以前はこどもで、そんなこと友だちとはなしあいませんが(笑)。
それなのに、20年以上たった今、まだ「脱ステ」を皮膚科医の権威がみとめないって(むろん、脱ステした人が皮膚科医の前からきえますので、『私のおかげで治ってさった』と思っていらっしゃるかもしれませんが)、ちょっと検索すれば、脱ステブログがわらわらヒットしてくるのに、認めないって…おかしい…。

<二つをならべることで、みえてくるもの>
やはり、どうしてもはなしがききたいです!! 
moto先生の本、深谷元継『ステロイド依存―ステロイドを止めたいアトピー性皮膚炎患者のために』(柘植書房、1999年)は、「私は1986年に皮膚科医となった」「アトピーは、新米皮膚科医でも、見ればすぐに判った。処方も簡単であった。顔には弱めの、眼囲には眼科用の、体にはやや強めのステロイド軟膏」(p.3)という記述からはじまります。そして「この数年間、ステロイド皮膚症に陥った患者が離脱していく過程に立ち会いながら、いったい何がどう悪かったのか、私なりにいろいろ考えた」と話が展開しています。私は、この「気軽にステロイドをだす新米皮膚科医」だったmoto先生が、いつステロイドを嫌う患者に気づき、なにゆえステロイドをきらう患者につきあいはじめたのか、ここのところをぜひ、きいてみたいです。なにもないかもしれません。でも、ここが「皮膚科の権威」とされる医師たちとの重要な岐路があるような気がします。
佐藤健二先生の本のタイトルは『患者に学んだ成人型アトピー治療-脱ステロイド・脱保湿療法』(柘植書房、2008年)です。序章に、ステロイドによる副作用がみられた患者数を調べ、それが増加してこそすれ、減少していない事実をつかみ疑問をもちはじめたことなどが書かれています。しかし、佐藤先生がなぜ副作用をみせる患者の増減がきになったのか、そうした佐藤先生の気持ちや思考の過程はかかれていません。その思考の変遷こそおうかがいしてみたい…。
ほかにも…たくさんの脱ステを牽引していらっしゃる先生たちは…しーな先生は、いつからおかしいとおもいはじめたのか…どのようにしてステロイドを疑いはじめたのか…。
医師の数だけ、背景があるはずです。
このプロセスは非常に重要だと思います。どこかに研究助成の申請して、インタビューにまわってみようかしら…(どんな枠で!? 医学系はぜったい無理だから…社会学系?(爆))。

多くの医師は治療方法をめぐる論文は書き残します。が、そこにいたる自分の個人史や思考の変化を書き記す人は、おおくありません。
皮膚科の医師たちが、なぜ「標準治療」を、「脱ステ」を、それぞれ支持するようになったのか…そのいきさつを二つならべることで、問題の根源的な部分があきらかになるのではないでしょうか…。
社会問題として提起するために、この記録は必要不可欠だとおもえてきました。
(しかし、これ、どこで発表…医療社会学関係の学会とか? 皮膚科学会系!受理してくれなさそう…というか、私には会員になる資格もなさそうだし(笑)……う~ん…いや、そのまえに、言葉がそれぞれいりみだれていて、整理しないと論文なんてかけない…。「リバウンド」と「離脱症状」は、「抵抗性」と「耐性」は、ほぼ同じ意味で使用されているのか? 「副作用」はそこにどうからむのか。しかも、医者が「業界用語」として使用している言葉と、社会で「一般使用」されている言葉のあいだにもへだたりはあるはず…。そいうえば、「言説研究」もできそうだとおもってはいたけれど…。だめだ〜、ブログ書いている分には問題じゃないかもしれないけれど、論文かこうとおもったらまず文献にあたりまくって言葉の整理が必要…。勉強しないと…。というか、いや、そのまえに自分の仕事、おわらせよ!でした…)。


<きょうのふっくん>
そんなにかわりありません。
しもやけが、ついにかかとと、あしの指2本にも、できてしまいました…。
そういえば…ここ2週間くらい、肌の状態があまりよくなくて…。こうなると、てきめんに足マッサージをいやがります。とくに、足の裏をもむ、足の指をもむと、すごく痛がっておこる…。わたしも、けられるのはいやだし、警戒して力のはいった足をむりにもむのもどうかと、てきとうになぜておわっていました。
「ぼくも〜」と強引にとなりにならんだみっくん。
うごくので、ぼけてます(笑)
あ〜。いたがってもちゃんと話して、毎日足マッサージして、血行よくしてたらしもやけふせげたかな〜とちょっとショック。
本人も、「これからは、保育園でも足がつめたいときは自分でマッサージしよ〜」とつぶやいてました。

2010年12月10日金曜日

今後の方針、きめました-2回目の脱ステ医受診-

2010年12月10日(金)
<脱ステ医にあいに…>
ふっくんは「もう、いかない」といったのですが、もう一回くらいしーな先生には会っておきたいと…。いってきました。
あいかわらず、とおい…。はやくかえれるとおもって布団をほしていったのに、かえってきたら真っ暗(しかも途中で雨…布団乾燥機があってよかった~)…ふだんよりおそかった…ひっくん、手足をつめたくして玄関でまちぼうけ…。ごめんね!

さて、診察室にはいるとさっそく「最初の写真のときと見比べさせて」と身体をみてくれます。
「全体的にはけっこうきれいになってきたんとちがう? さいきんはどんなかんじにしてるん?」ときいてくれます。
たべもの、サプリ、皮膚へのくすり…順にはなしました。
「私の治療方針としては、とにかく必要な栄養素を十分にとること、それから四季おりおり自分にあったくすりの配合をみつけることで、そこそこの状態を保てればとかんがえています。それで、いいですか?」
「はい」
「じゃー、たべものはこのまま、タンパク質たくさんとるようにがんばってね。あと、亜鉛と鉄のサプリは、大人の必要量の3分の2ってことだったけど、全部吸収されるわけじゃないから、大人の必要量毎日のんでみてね。ビタミンもB群を中心に補給しましょう。あとは、ぬりぐすり。じくじくしたらかわかす。かわいてかゆいところには保湿。で、この保湿剤の配合をさぐっていく。いいですか?」
「肘の内側、けっきょくなんだったんでしょう? 最初とびひだとおもって、家にのこしてあった抗生剤のんでアクアチームをつけたんです。それ2日つづけて、そのあとちくちく痛いというので、ヘルペスかもと、抗生剤のむのはやめてゾビラックスにかえました」
「う〜ん。もう痂皮化してるからわかりませんね。でも、ヘルペスがひじの内側にしかも単発ででるってあんまりみたことないですしね…とびひだった可能性たかいですよ。抗生剤のんだんがきいたかもわかりません。おかあさん、いい判断だったとおもいます。これからもきっと、肌の異変に気づくのは夜でしょうから、そのときに今回みたいに塗り薬とか飲み薬ためしてみて、次の朝おさまってればそれがあたったってことだし、ひどくなっていたら皮膚科にみせるでいいんじゃないですか?まーねー、医者もそんなかんじですから。見た目であたりをつけて、薬をだして様子をみる。だから、とびひにもゾビラックスきいたいう医者もいますしね、でもそういう患者さんもいたゆうだけかもしれません。とにかく、試行錯誤していくしかないですよ」
なんだか、すごく納得。わたし、この先生誠実で好きだとおもいました。
そのころ、ふっくんはもうあきて、まわるいすであそんでいます。
しーな先生はまず、ふっくんに
「いいですか?ちゃんと、栄養とって、ぬるおくすりはおかあさんといろいろためしてみてね」と声をかけ、そのあと
看護師さんに「ちょっと、おかあさんと話したいから、ふっくんの相手してもらえますか?」と。


<この先の主治医をどうしますか?>
なんでも、しーな先生は、年明けには病院をかわるそうで、いまより遠くなってしまうとのこと。選択肢は3つ。
・しーな先生の考えを理解してくれる病院を紹介する
・わたしたちがすんでいる地域で、栄養療法に力をいれている皮膚科医に転院する。脱ステの件はしーな先生が手紙で依頼する
・しーな先生のうつる病院を一回受診して、以後は電話でやりとりする
なやみました。しーな先生の説明は明解ですし、人柄もかなり好きです。が…こんどかわられる先は、片道3時間はかかりそう…。が、私のすむ地域の病院は…以前、電話でアドバイスをうけたときも紹介されて、そこで、ホームページをのぞいてみたのですが…。なんとゆうか…ページが洗練されていすぎ…イメージ的に「商売上手!」。偏見ありすぎですが、効率優先、試行錯誤一緒にしてくれないかも…なんて、ちょっと行く気になれない…。
というより、そもそも、いまのふっくんにお医者さん、必要なの!?と…。
「返事、保留にしていいですか?」
「まーねー。私もこのあと気になるから、また次の病院まできてくれたら安心ですけど、でも、遠いですしね〜。それと、いまぐらいの調子でいけるなら、医者かよわんかっても、いける気はしますよ。この程度で、あわてるおかあさんもいれば、ほっとくおかあさんもいっぱいいますから」
「すみません、実は私もそうおもいはじめてました。栄養素はおしえていただいたのでサプリを買っておぎなってもいいし、ワセリンや亜鉛華軟膏も市販されています。あちこち医者につれまわすのも、かえってふっくんを不安にさせるのではと…。このまま様子をみて、彼がまたいつか『医者にいきたい』と言ったときに、先生をたずねるか、おしえていただいたところにいくか、かんがえようかなとおもいます」
「うん、おかーさんが、いろんな情報にふりまわされずに、どっしりかまえてるのが、ふっくんのアトピーにはいちばんいいと思いますよ。でも、どのみち1月中には連絡くださいね。看護師さんに、私の行き先とかもつたえておきますから」
さて、診察終了の雰囲気…でも、まだききたいことが2つ! 依存のはなしと、湿潤療法が〜〜。


<「リバウンド」と「依存」はどうちがうのか?>
「先生、あと2つききたいことがあるんです」看護師さんが、「次の方もまってらっしゃるんで、手短に」と。たぶん、ここまでですでに20分は経過していました。
「では、どうしてもききたいほうから。先生はステロイドの依存とかリバウンドとかいう言葉をどう使い分けていらっしゃいますか?」
「え〜。それは…どんな状態でそれをたずねてらっしゃるのか、説明してもらわないと、どうこたえていいか…」
「実は、おークリニックに先生の紹介状をもっていったときに、『ステロイドのリバウンドなんてないわよ』とはなで笑われました。もし、あそこに『依存』という言葉がかかれていたら、彼女はどんな反応をしめしたのか…彼女の反応は、皮膚科医として一般的なのか…先生は、どんな使い分けをされているのか…そんなことがおうかがいしたいです」
しーな先生の説明は明確でした。以下、簡単に説明してみます。

「リバウンド」=ステロイドをやめたためにおこった症状
「依存」=ステロイドを使用しつづけたためにおこっている症状
「抵抗性」=ステロイドを使用しつづけたために効果をしめさなくなる状態

*「抵抗性」については、moto先生のブログ「塗ってもきかない-ステロイド抵抗性」
や、あおきクリニックの先生による学会の講演
などで示されています。
「抵抗性」と「耐性」は、どのようにちがうのかと…「耐性」でももぐぐってみました。
*「耐性」については、「ステロイドに対する耐性をアッセイするための方法及び試薬」
というなまえで日清キョーリン製薬の研究所の方が特許申請をしています。このなかの【0002 従来の技術】をよむと、ステロイドの耐性は自明のことのように書かれていますが…。否定する医師って…。


つまり…ステロイドをやめたときの症状がただのアトピーとはいえないほどはげしくでたときに「リバウンドがみとめられる」と使用している。一方、これまでずっと「標準治療」をしてきて、ステロイドのランクをあげても、ききがわるくなる「抵抗性」をしめしていて、皮膚にはステロイド依存性の湿疹ができている。しかし、ステロイドをつかわずには皮膚の機能をはたせないような状態になっている、そいう状態の患者さんに「依存」という言葉を使用しているということでした。
→ふっくんが、絶叫するほど夜中にかゆみがひろがったのは、これまでステロイドによっておさえつけられていた症状がいっきにあふれたためがひとつと、前身に赤い発疹がひろがったという点から、(そのときの状態を自分ではみていないの断言はできないが)リバウンドはあったとみなした。しかし、受診した段階ではすでに2ヶ月が経過しており、そのときの皮膚状態は、依存もみられなかったため、一時的なリバウンドがあったが、すでに去った段階だと判断した。

・リバウンドや依存がないと主張する医師は、一定数いる。皮膚科医の中でも、断固として「あれは、本来のアトピーの悪化であり、ステロイドの影響ではない」といいはる医師がいる。しかし、25年も皮膚科医をしていたら、アンテナをたてて患者さんの皮膚をみていたら、アトピーでおこる湿疹と、ステロイド依存による湿疹は、混在していても明確にちがうことがわかるはず。
また、あきらかにアトピーではなりえない症状にもなるが、そうした症状にアトピー以外の診断名をつけてよんでいるケースもある。
さらに…最近の若い皮膚科医がであうアトピー患者さんは、ほとんどが小さいときからステロイドを使用してきている。よって、ステロイドによる湿疹が、アトピー本来の湿疹にまじっていても、「あ〜、これが典型的なアトピーの症状か」と納得している可能性は高い。今後、ますます若い医師が「ステロイド使用による弊害」に気づく可能性はちいさくなっていくのでは…。


<キズパワーパッドとステロイド>
「ステロイドぬってるときに、キズパワーパッドはると、ひどくかぶれます。かふれるというか、ヘルペスっぽい水泡ができたり、じくじくの湿疹ができたりします。そんな話、ほかにもきいたことありますか?」
「さて…。でも、あれ密封するわけですよね。ステロイドぬっている肌は、確実に抵抗力おちてますから、あせもがとびひになったり、毛膿炎になったりゆーことは、ふつうの人よりおおいはずです」
あ〜納得。
もうひとつ…、ほんとはアトピー患者へのステロイド密封療法がどうなのかきいてみたかったですが、看護士さんの顔が〜。
あきらめました。ついでに、
「先生、じゅくじゅくのとき、ガーゼよりプラスモイストのほうが、快適かも」情報もおつたえしたかったけど、これも断念。

そいうえば…しもやけについては、あんまり関心がなかったようで…。最後に、「そうそう、くすりどうする?」ときかれたので、「しもやけのくすり、ください」っていったら、「あ〜、しもやけだったわね〜」まぁ、主訴じゃないから忘れられがちかもしれません。

さて、治療点数ですが…。
前回の電話相談は、69点。
今回は、診察料121点、管理料10点、薬料(ビタミン剤、保湿剤(ワセリン+亜鉛華軟膏)2種、ユベラ軟膏)110点


<きのうのふっくん>
あいかわらず、「亜鉛+鉄」のサプリは、まずいといって非常にいやがっています。が、のみました。ビタミン剤はよろこでいます。
肘の内側と膝の裏が、いまは一番かゆいようです。
シルクパジャマと5本指ソックスは、きにいってます。
「つかれた~。もうお医者さんはとうぶんいかない~」といってねました。
私も同感です。
でも、またいつかしーな先生には、あいたいです。

2010年12月9日木曜日

創傷の「標準治療」はいまも「湿潤療法」ではない!?

2010年12月9日(木)
かかないつもりでしたが…おもわぬアクシデントがあったので!!(笑)

<マスクにガーゼをあてた!?>
昨日、職場に保育園から電話がかかってきました。
(え〜、熱でもだしたのかしら…)とおそるおそる受話器をとると…
「ごめんね、おかあさん。ふっくん、さっき頭ににわとりのっけてたんだけど…」
(はぁ? にわとり〜!? たしか、今日は移動動物園が保育園にくる日だったよね。しかし、なんでまた、頭ににわとり。で、なんで、それで、職場に電話?)わたしの脳内、ますますクエスチョンマークがいっぱい。

とにかく、先生のはなす事情を優先するならば(ふっくんの説明は、これとちがっていましたが、先生の説明のほうが、説得力あり(笑))、
ともだちとにわとりを頭にのっけることができるか競争になり、ふたりでのせっこをしていた。そこで、ふっくんが「ぼくは、もっとすごいよ」とにわとりを頭にのせたまま走りだしたため、おびえたにわとりがふっくんの顔を踏み台にジャンプ。顔をけさがけにひっかかれた。
ということらしい…。

「なにしとるん、ふっくん! すごいあほ〜〜〜〜。うわ〜、うちのむすこ、あほすぎ〜〜〜」もう、大爆笑。
「いや、それでね、おかあさん、ふっくんテープはるとかぶれるでしょ。だから、いまのとこつかいすてのマスクにガーゼをあてて、それで傷おさえてるんだけど、どうしよう。病院、こっちでつれてこうか?」
「だって、にわとりにひっかかれただけですよね。目にはいったりしました?」
「いや、ちょうど目はさけられて…。まー、傷は浅いけど、長いんだよね」
「本人は、なんていってますか?」
「ここにいるから、ちょっときいてみるね」ふっくんの声がとおくから、きこえてきます。
「いたいけど、これ病院いくようなけがじゃないよ」
「おかーさん、きこえた? こんなふうにいってる。とりあえず傷口はすぐ洗ったからね」
「ありがとうございます。では、本人の判断、優先してください。もし、むかえにいって気になったら、私が病院つれてきますね」

というわけで…それでも気になったので、「湿潤療法」をしている医者をネットで検索して、いつもよりははやめにおむかえにいきました。
なんだ、「けさがけ」ってほんの5センチくらい、鼻からほっぺにむけて、ひっかき傷があるだけ。よかった〜。

でも、とにかく顔なので、めだちます。保育園におむかえにくるおかあさんが、つぎつぎふっくんに「どうしたの〜!!その顔!」と話しかけてくれます。
事情をはなすたびに…「にわとり、頭にのせた!? めっちゃおもしろい〜。よく思いついたね」と爆笑する人、「そんなにひどくなくて、よかったね。にわとり頭にのせるなんて経験、いまどきなかなかできないよ」とほめてくれる人、「そんな! 鳥なんてどんなばい菌もってるかわからないのに! おかあさんに病院つれてってもらわないと! 先生はつれてってくれなかったの!?」と憤慨する人、様々でした…。
なんか、おかあさんたちの反応がかなりおもしろかったです…。

でも、ふっくんがしていたつかいすてマスクは、内側からガーゼがテープでとめてあって、ちょうど傷にあたるようにゴムのながさも調節してありました…それをみて、保育園の先生たち「バンドエイドも、ガーゼをテープでとめるのもふっくんがかぶれてはいけない!」と、いろいろかんがえてくださったんだな〜と、しみじみありがたかったです。

<外科医間の湿潤療法は、皮膚科医間の脱ステとおなじ!?>
ちなみに、場所的にプラスモイストははりにくい…。このまえ、キズパワーパッドかぶれなかったから、それでいこう!と、おふろあがりにはりました。
こんなとき、「ステロイドやめてよかった〜」とおもってしまいます。
だれか臨床の方が、これ実証してくれないでしょうか…。ステロイド使用中のキズパワーパッドは、私のしってる十数人の人はみんなひどくかぶれているのです…。
というわけで…外傷にかんして湿潤療法を推奨していらっしゃるお医者さんにメールでといあわせてみましたが、ステロイド使用については関心をもっていらっしゃらないようでした。
返事の要点は以下の3つでした。
①ODT療法(密封療法)は皮膚科では数十年前から世界標準治療である
(ゆえに、アトピー治療においてステロイドを使用してラップでおおう方法は有効である)
②ラップやキズパワーパッドは、たしかにあせもやとひびを併発しやすい。その場合はプラスモイストが有効。
(プラスモイストは、吸収力が高いために、とびひや湿疹の治療にも有効である)
③湿潤療法を理解しようとしない医師は、勉強不足のばか

このお返事からすると、アトピー治療においてステロイドを使用したうえでラップでおおうODT療法で甲状腺機能に異常をきたした人がたくさんいるといったおー先生の見解はどうなるのでしょうか…。
う〜ん、外科の先生ですから、創傷に関する縫合・消毒に疑問はもたれても、アトピーにおけるステロイドの依存性といった問題には関心がなくて当然かもしれませんが…。でも、創傷治療や熱傷治療について「標準治療」のあり方を批判されている医師が、皮膚科のODT療法となると「世界標準治療である」と権威をもちだされることが、ちょっとおもしろくはありました。
②番目は、すごくなっとくしました。ふっくんもプラスモイストではかぶれたことがありません。
ちなみに、このお返事は、③にもっとも力がはいっていたような…。
う〜ん…湿潤療法は、世間的には徐々に認知されているように私はかんじていましたが、「外科学会」の中ではアウトローなのかもしれませんね。
皮膚科医の権威がなかなかステロイド依存をみとめたがらないように、外科医の権威はやはり湿潤療法をみとめたがらないということは十分にかんがえられます。
もっとも脱ステを標榜する医者よりも、湿潤療法を標榜する医者のほうが勢いが強いかんじは、印象ですがうけています…。
近所の総合病院でも院内の大型スクリーンに「当院では、外傷には湿潤療法をおこなっています」とうつしだされています。その後、湿潤療法の詳しい説明がはじまるのですが…最後にちいさく「一部の医師は従来の消毒法を支持しています」的な表示がながれます。看護師さんにきいてみたら「うちの若いドクターはみんな湿潤療法に移行したんですが…ひとり強行に反対なさってるドクターがいて…その方がこの一文をいれろと…。ないしょですよ」と、こっそりおしえてくれました…(爆)。

このメールで勉強になったのは、ステロイド使用中の人でもプラスモイストはいけるであろうことと、もう1つは、外科の先生に、アトピーに関するステロイド使用のことまで越境して考えてもらおうというのが、おかど違いだったなということです。
でも、アトピーの人もけがをします。そのとき…ステロイド使用者かどうかたずねたうえで、もちいる衛生材料を考えてくださったらありがたいですよね…。むろん、アトピーにかぎりませんけど。

いま気になって、「創傷 標準治療」でぐぐってみると…ありました!!!
やはり、創傷の湿潤療法は「標準治療」としてみとめられてない…褥瘡治療でかろうじてふれられた程度だそうです。
きよすクリニック 診察室から
きよすクリニックの院長先生の態度、いいな〜とおもいます。

内部で意見がくいちがうことはどの「業界」でもあることだとおもいます。そんなときに「私の信じる意見こそがただしい」と固執するまえに、いったん白紙にどして異なる主張を十分に吟味してあらためて態度をきめるというプロセスは重要だとつくづくおもいました。


<きのうのふっくん>
なんとなく、手順がおちついてきました。
かいてかさぶたをとってしまった部分にはマキロン
かさぶたになっている湿疹と、乾燥してしろくかいたあとがのこっている部分には亜鉛華軟膏入りワセリン
肘の内側は、かなりかさぶたがあつくなりもう水疱はふえていませんがとりあえずゾビラックス
しもやけには、メンソレータムぬってます。
ねるときのアイスノンは、さむからか、わすれたり、つかったり。
最近、寝る前以外はあまりかゆくないようで、ローラー針をもちあるくこともなくなりました。

2010年12月6日月曜日

「責任」をもつ、「問い」にこたえる

2010年12月6日(月)
<しばらく、更新回数を週1回にします>
このブログを、毎日のぞいてくださる方々、ありがとうございます。とてもはげみになっています。
アトピーについて、ステロイド使用について、子育てについて…まだまだ、考えたいことはたくさんありますが、いよいよ、義理ある仕事が、せっぱつまってきました…。
これから3ヶ月ほど、ブログの更新は、週に1回程度、ふっくんのアトピー経過記録のみにする予定です。
3月になりましたら、また、いろいろな本を参考に、かんがえていきたいとおもいます。
おやすみにはいる今回は…哲学をまなんでいる方の本を紹介したいと思います。

<「責任」ということ>
さて、ブログをはじめて3ヶ月ちかく、ダンくんにはずいぶん笑われ、心配されてきました。
「これやっとるひま、あるん?」「あんた、逃避ではじめたブログのためになんで本買い込んで勉強しとん(爆)」などなど。
たしかに、逃避といわれれば逃避…。しかし、これまでさきおくりしてきた課題といえば課題…。
私にとって、ふっくんのアトピーは、私が責任をもって対処せざるをえない問題だともおもってきました。
中真生さんという哲学を専門にしていらっしゃる方がこんなことを書いていました。

自分ひとりのことならば、どのような損害や評価も甘受しうる。それを背負うのは自分だからだ。しかし、人のものを預かり、自分の裁量にゆだねられているにもかかわらず、その結果は自分(だけ)はなく、他人が背負っていかなくてはならないとき、私たちは責任を感じうる。逆に、私たちが人に責任を問いたくなるのもこのようなときだろう。あなたが関わって残した痕跡を、私は背負っていかなくてはならない。その重みを認識して欲しい、償って欲しいと。
中真生「責任」飯田隆ほか編『モラル/行為の哲学』(岩波書店、2008年、p.249)

たしかに…自分のことならば、ここまで悩まないかもしれません。しかし、いまの私の選択が、ふっくんの今後の人生に大きくかかってくるとしたら、それはたちどまって熟慮せざるをえない。いつか、彼に保護者としての責任を問われたとき、「でも、わたしはあのとき、問い、なやみ、かんがえうるかぎりで最適だとおもう方法を選択した」とこたえたい…。それがまちがていたならば、私もいさぎよく彼に謝ることができる…。
そんなふうにおもっています。これは、一方で私の責任であり、重荷ですが、一方で私の存在証明ともなりえているかもしれません。

こんなふうに考えると、こどものアトピー支援において、親としてアトピーにかかわってきた人の態度が、当事者としてアトピーにかかわってきた人にとっては、「重い」「うっとうしい」「やりすぎ」と感じられる背景もクリアーになるのではないでしょうか…。

親は責任をかんじています…。しかし、考えうる選択肢はだれにでも平等にひらかれているわけではありません。情報収集のスキルが必要です。そのスキルにたけていなければ、択肢はかぎられます。さらに選択肢を手中にしたとしても、選択指針をきめるリテラシーが必要です。リテラシーは訓練なくしてみにつきません…。
つまり、私たちは一般的に、権威のあるもの、声の大きいもの、知人のすすめるもの、おおくの人が従っているものに、判断をゆだねることになります。しかし、アトピー治療の現場は、混乱しています。判断をゆだねる代理責任者の選択すら迷いが生じます。
自分の判断に自信/責任がもてきれないと感じている保護者にとって、「過干渉になる」という選択肢しか残されていないのかもしれません。

アトピー治療の混乱を、混乱のままえがき、自分ならどんな選択をするのかシミュレーションできる…。そんな、記録がいま必要とされているとおもっています。
この混乱に対するまよいは、そっくり、今日までの私の経験でもあります。今後、アトピーやアレルギーと診断されたお子さんをもつ保護者の方がこのブログをみてくださったなら、ぜひ9月のあたまにもどり、私とふっくんの経験を追体験し、ここまでの道程を批判的に検討してください。
お子さんにとって、すこしでも満足のいく「責任」のもち方をみつけてくだされば、幸いです。

<「問い」をはっする>
さて、この中さんは、こんな文章も書いていらっしゃいます。
中真生「問いつめる」松永澄夫ほか編『哲学の振る舞い』(東信社、2010年、p.71)
・「問いは思考を立ち上げ、始動させる」
・「問いは、思考が進むのを後押ししてくれる杖のようなもの」
・「問いがやみ、あるいは生まれなくなるとき、思考もまたやんでしまう」
そうだな〜としみじみ思います。
「このブログのスタイル、これでいいよ」と中さんにはげまされたような気持ちになりました。
このブログを書きはじめて以来今日まで、私の頭の片隅にはつねにアトピーがあり、つねに問いがうかんでくることに、われながら閉口することもありました。
しかし、この次々とうかびあがる問いのおかげで、私はずいぶん、距離をおいて、ふっくんと彼の肌をみられるようになったともおもいます。
というか、問のこたえをみいだしたいという思いが、ふっくんの肌ばかりに気をとられる時間を大幅に減少させた効果かもしれません…。
いずれにせよ、まだ、宙に浮いたままの問いは、たくさんあります。こたえがみつかりそうな本もてあたりしだい購入し、周囲にならべています。
いまの仕事がおわったら、一冊ずつ手にとり、みなさんとかんがえていきたいとおもいます。
そのときは、またご意見ください。よろしくおねがいします。

<今日のふっくん>
ちょっと、湿疹が乾燥してきて、いいかんじです。とびひだとおもった湿疹は、アクアチームをぬったら(これも、家にありました…まえにふっくんが毛のう炎と診断されたときもらった薬です…)、ちくちく痛いというので、「もしかして、とびひじゃなくて、ヘルペス!?」とまよいました。よって抗生剤の内服はやめ、ぬり薬はゾビラックスにかえてみました。こんなかんじになっています。本人は「このでこぼこが、きもちわるい!」とすごくいやがっています…。しかし、そのほかはきれいになりつつあります。この夏からしつこく、じくじくとかさぶたをくりかえした右足のすねは、いま薄皮もあつくなりつつあり、ほとんどかゆみもないようです。本人は「これが、よくなったんだから、ほかもぜったい、このくらいにはなるよね」と自信をふかめているようです。
ひじの内側のでこぼこをいやがっています!
じくじく部分には、マキロン。かさかさでかゆみのあるところに保湿剤。左肘の内側にゾビラックスをぬりました。
さて、しろうと療法もそろそろ限界です。今週中には、仕事をやすんでしーな先生のところにいってみます。
(その顛末に関しては、ご報告します!)

2010年12月3日金曜日

「感情表出」と「社会規範」

2010年12月3日(金)
<きのうのふっくん…>
おふろあがり、「きょーも、マキロンにする~」とさしだす腕をみたら…。
「ちょっと! これ、とびひになってない!?」
きのうまでは、ぽつぽつひろがる赤い発疹の頭がけずれていただけでしたが、
今日は、水疱もまじっているし、けずれたてっぺんに黄色のかさぶたがくっついています…。

しもやけのうえに、とびひかよ~。もう、ふんだりけったりじゃん…。
「テラ・コートリルがあったから、それぬろ~」とみたら…
しらなかった…。これもステロイドいり…。
「ゲンタシンもあったはず…」とさがしたら、未開封のが1本みつかりました。

ひじの内側がとびひ疑惑です。

「これぬっとくべ」
しかし、きのうは単に粉をふいて、しろいかきあとがみられただけの背中に、今日は赤い発疹がいっぱい。しかも、これもひっかいてかさぶたになっているところもあります。
足もかなり、ひっかきキズがめだつ…。
「ふっくん、ねんのために、まえにおー先生にもらった抗生剤ものんどこう」
(うわ~、もう、どんどんしろうと判断拡大…)


【脱線~とびひとステロイド】
息子たちがねてから、「ゲンタシンでよかったかな~」と「とびひ ステロイド」で検索してみました。またまた、いっぱい「とびひには、ステロイド」説が…。
「おいおい、アトピーの子がとびひになったとき、ステロイドぬるとひどくなるのに」とおもって、次は「アトピー とびひ ステロイド」で検索すると…「もともとアトピー体質の子がとびひになったときは、ステロイドは使用しない」という話もでてきました。
しかし、小児科と皮膚科で「とびひにステロイドはだめ」「とひびには、ステロイド」とちがうことをいわれて、困惑しているおかあさんも…。なんか…いつでも、どこでもステロイドですね…。


<いっていいこと、わるいことの境界>
さて、さきほどの続きですが、ひっくんが「いいな~、ふっくん。くすりいっぱいのめて」といいはじめました。
ひっくんは、なぜかくすりをのむのが大好きです。
「じゃー、ビタミン剤でものんどけば?」
「いや、そーいうんじゃなくて、お医者さんからもらった薬がいいんだよね。まー、ふっくんみたいに、からだがかゆくなったり、きずだらけになるのは、いやだけどさ。あっ、かぜでいいや。かぜひかないかな~」
なんだか、怒りのマグマがふつふつ。
「そんな、かぜひきたくてかぜひいた人のめんどうなんか、おかあさんみないから。かってにしてよね」とぷんぷん。
「ひとりでいるの?」
「とうぜんでしょ…」と、私の怒りはおさまらず、しゃべりつづけていましたが、ふとひっくんをみると、とほうにくれた顔であらぬ方向をみつめています。(しまった~。いやみいっても、この人にはつうじない…)
「ごめん。ほんとは、おかあさんがおこっているのは、かぜの話の前。あなた、もし誰かに「ひっくんみたいには、なりたくないけどね」って言われたらどうなの? それ、かなりいやじゃない?かなしいよ。人はいろいろ思うから、それは仕方ない。でも、本人の前で言っていいこと、悪いことがあります。どうしてもいいたかったら、あとで他の人にいいなさい!」

ふっくんが、いきなり「おかさ~ん」とだきついてきました。
(あ~、やっぱり、ふっくんは、ひっくんに「あんなふうになりたくない」って言われて、すごくキズついたんだな~)とおもいました。
(あぶな~い。いやみでおわらせなくて、よかった。ちゃんと怒っている理由いってよかった~)とも。
が、しかし…。私の態度は、これでほんとうによかったのでしょうか…。

<「感情」をどうするのか>
わきあがる感情を、制御するのはむずかしい…。
たしかに、私たちは感情をコントロールしています。が、それは表層的なものです。「顔で笑って心で泣いて…」的な。
より適切にいえば、感情表出をコントロールすることはできても、感情そのものはコントロールできないといえるかもしれません。
(もっとも、感情労働論においては、たとえば「心からの笑顔」をもとめられたとき、しだいに自己の感情と労働上の感情表出規範にそっているのかわからなくなり、自己を阻害するといった話もでてきました…。と、ここでいま、ものすごく「感情社会学」とか「感情労働」についての本を手にとりたくなっています。が、禁欲します。ほんとーに仕事がたちゆかなくなりそうです…(泣)。
みなさん、すみません。また時間の余裕のあるときに、ちゃんと文献参照しつつ、ここかきなおします。でも…いまの気持ちだけ、整理させてください)

<「社会規範」に従うということ>
とりあえず、いまもやもやしていることをかきます。
私は、こどもたちに発したメッセージは以下の三点です。
①なにかを思うことは、よくもわるくもない
②しかし、それを誰かに伝えるかどうかは、判断するべき
③円滑な人間関係のために、沈黙するか、こっそりいうことを奨励

①「なにかを思う」そのことに価値判断はつけられません。なにかを思うことに対し、いちいち「道徳的」あるいは「社会的」価値判断をつけていたら、自己否定的な人生をおくらざるをえない…。
ここは、問題ないとおもいます。
②「わいてきた感情、きもちを表現するかいなかを判断する」…これは「社会的な規範にてらしあわせて考えろ」というメッセージです。
私は、昨晩「自分だったら、どうなのか想像しろ」とひっくんにせまりました。が…ひっくんは、アスペルガーです。「置き換え想定」は小さいときから大の苦手。そのことで、小さいときからさんざ叱って、アスペルガーだとわかったときに、「いままで、怒ってごめん」と私はひとりで大泣きしたはずです。そして
「タブーとされていることも、口にして、はじめてわかりあえることもある」「ことの本質をかたりあういい機会になるかもしれない」と考え直し、またそうも教えてきました。
それなのに、再び、私は彼に「人の気持ちをかんがえろ」としかりとばしている…。
この矛盾を、ぴーふけ、あなた、どうするんですか?
いや、たしかに「ソーシャルスキルとして、それ教えるのは大切ですよ」と弁護してくださる方がいらっしゃるかもしれません。
③「沈黙するか、こっそり言え」は、まさにスキル伝達です。
しかし、人に「沈黙をしいる」ってけっこう抑圧的ではあります。それだったら、「こっそり言え」のほうがいい。これ、「陰口」のことではありますが…。昔は「陰口」は「きたない」「ずるい」「はっきり本人にいえばいい」と私のなかでは大きな「タブー」の一つでした。
が…いまは、これ、けっこう人をエンパワーさせる強力な方法ではないかなどともおもっています。
ただし、これはエンパワーはされても、根本的な解決はうみません。
社会生活は円滑にすすむ方法の一つではありますが、それだけといえば、それだけです。


<「規範」にそわない選択肢>
もう一度、私の態度をふりかえります。

ひっくんが、「かゆくなったり、きずらだけの身体になるのはいやだ」と言った。
私が、「本人にそれをいうなんて、ひどいことだ」と怒った。

しかし、私には、ここで「怒らない」という選択肢があったはずです。
むろん、怒ったことで「ふっくんは、救われたんじゃないの?」と弁護することは可能かもしれません。
でも、ふっくんは「味方してくれた」とは感じても、「アトピーはいやなことだ」というメッセージと、もうひとつ「ひっくんは、『思いやりがない』」というメッセージも同時にうけとってしまったとおもいます。

私が怒ってしまったことで、発したメッセージは3つです。
a.「かゆくなったり、傷だらけな身体であることは、わるいことである」と私が認めている。
b.「だから、それは悪口だ」と私は判断した。
c.「おもったことを、そのまま口にする前に、いったんかんがるべきだ」と私が考えている

しかし…そもそも、「かゆくなったり、傷だらけな身体であること」は、ほんとうに「わるいこと」なのでしょうか?
「おもったことを、そのまま口にすること」は、そんなに「いけないこと」なのでしょうか。
そうかんがえると、ほかの選択肢としてなにがあったか…

b’.「かゆくなったり、キズだらけだと、どうしていやなの?」と、私はひっくんにたずねかえすことができたはずです。そうすれば、ひっくんが外部からみた「アトピー」への感想を話すことができました。ふっくんが「実体験として、自分のつらさ」について話すことも可能になりました。3人で、「アトピーって、なんだかね~」とはなして、つらさを共有したり、その状態を肯定したり、できていたかもしれません。

b”.「いまのひっくんの言葉、ふっくんどうおもう?」と、ふっくんにたずねることもできました。
そうすれば、ふっくんがひっくんに直接自分の気持ちをつたえることができました。「それを言われるのは、いやだ」とか、「でも、ぼくは平気だよ」とか…。いずれにせよ、「アトピーをどうとらえるか」という会話は、はじめられたようにおもいます。

私が怒ってしまったことで、私は「アトピー」を話題にするきっかけをひとつつぶし、ふっくんが「自分で発言する」機会もうばってしまいました。
しかも、ひっくんの「おもったことを、口にした」ことは、彼の口をでた時点ではなんの意味もおびていなかった。それを「悪いこと」と価値付けたのは、「悪いことだと」怒った私です…。
怒られるべきなのは、ひっくんではなく、私のほうでした…。

でも!! いくら「おかあさん」がわたしの主要な属性の一つでも、わたしもただの人ですから、わきあがる感情に、善悪判定をもちこんじゃいけません!(笑)。しかたない、怒れちゃったんですから…。
でも、いまから修復することは、可能かもしれません。
いきなり「ごめん、きのー、おかーさん、態度まちがえてました」と話し出すのも…(これ、けっこう頻繁に使うので、さいきん、息子たち、インパクトをもってきいてくれなくなりました…(笑))。
そうだ。今日ダンくんたちが、かえってくるから、「そいうえば、きのうね~」と報告形式で誘導してみようかしら。ただし! ダンくんは、話を最後まできかずに「こうすればいい」と結論だけ宣言しがち…。「ここに誘導したいんだから、たのむよ」と先に話しておこうかしら…。でも、そんなことしたら、たぶん彼が「あれなー、あんたらのおかーさんが、まちがっててんで。あそこで、怒らずに、はなさんと…」などと自分で主導権をにぎって会話の場をつくりそうな気も…。まっ、それもいいですね。

【脱線~ぐちの効用】
「陰口やぐちは、けっこういいよ」について…。
私も、むかしはきらいだったんです。「ぐちぐちいう」とか「陰口こそこそ」とか、軽蔑してたんです。ところが、あるときいつもアハハと笑っている元気な女性としりあい…。彼女があるとき、
「ぐちとか、かげぐち、ばかにしちゃだめだよ。私も昔はそうおもってたの。家もきびしくてそういう行動が許されなかったし。でも結婚してみたら、彼の家がすごいの。ぐちと陰口の嵐。はじめは軽蔑してたんだけど、でも彼の家族のほうが、私の家族より明るい。かぜとおしもいい。すごい悪口いってるくせに、悪口の標的にしていたその人をまるごとうけいれてるっていうのかな。ある意味、健全だってきづいたんだよ」というような話をしてくれました。そうかな~と半信半疑でしたが…。
仕事でであう人たちが、みんなひとりでかかえてくるしんでいたり、だれにもいえない間にちっちゃなことが巨大化してのしかかっていたりするのをみるにつれ…「はなしましょう」「ぐちぐち、いおうよ」「ぐちは、いわないと!」とどんどん態度がシフトしてきました(笑)。

そうそう、「ぐち」つながりで…。上岡陽江、大嶋栄子『その後の不自由-「嵐」のあとを生きる人たち』(医学書院、2010年)、すばらしいです。これにも、「ぐちをいおう」って、書いてあります。
また、ちょうど読んだ翌日に、オーバードーズ経験者の知人がやってきました。「いいところに!きのうこれよんで、おすすめしたいと思ってたのよ~」と。
そして、ふたりで「ブラバ注意!」とわらいながら、「一緒だ〜」と泣きながら、よみました。
作者さんにおつたえしたい…。すくなくとも、確実にひとり、この本にすくわれた人がいます。きっと、もっとたくさんいます。みなさんもよかったら、よんでみてください。

2010年12月2日木曜日

「かゆいと言ったら、ステロイド!」「えっ?」

2010年12月2日(木)
<しもやけ、できました…>
ショックでした…。この冬、「芳泉」も冷え性防止だし、足マッサー・手マッサーも毎晩。
「ことしのふっくんは、しもやけしらず!」と意気込んでいたのです。
が、昨晩、ふっくんのしあげはみがきをしようとして…「ちょっと、耳、赤くはれてない?」
「うわっ! これ、しもやけじゃん!!!」が~~ん。
「ノーマークだったよ~~。やられた~」と大ショック。
私が、愕然としているわりには、ふっくんはいたってのんき。
「あー、園庭であそんでると、いつも耳がめちゃくちゃつめたいんだよね。だから、なったんだな。でも、おかーさん手でしっかりふさいでるとそんなに痛くないから、平気だよ」
なんか…きみ、たくましくなったね…。うれしい。

でも、しもやけ、いまはまだいいけど、この先ひどくなる予感…。
耳では、「おばーちゃん療法」もつかえない…。
どうしようとしもやけのサイトをさがしていました。いちばん、よかったのはしもやけ.com
実体験にもとづいて、丁寧にかかれています。
針刺し療法もためされています!でも、このかたにはきかなかったよう…。やりかたもちょっとちがいますが、向き不向きなどもあるのでしょうか…。

この方は、皮膚科医さんでもらったビタミンE軟膏がいちばんいいとおすすめされています。
「そうだよね~。じゃーどこのお医者さんでもらうかなー、おー先生とこいくかな」なんて、おもっていたら…。
(ちなみに、つかちに先生は、「しもやけひどくなって」というと「じゃー、ヒルドイドぬっといて」「ビタミンEいりがいいときいたのですが…」「じゃー、飲む方でだしとくかな」ってかんじでした。あんまり、しもやけには、関心なかったみたいです)


<しもやけにも、ステロイド!?>
ところで、この方が皮膚科で処方されているのは、「リンデロンV+ユベラ軟膏」…。
「しもやけにまで、ステロイドかよ~~~~」と、たおれそうになりました…。

ごめんなさい! この方は、すごく快適につかっていらっしゃいます。それに、しもやけ用ですから、おそらく使用期間は冬の間の3ヶ月くらい。長期的常用状態はさけられるので、問題にならない可能性は高いとおもいます。もっとも、この方自身、「病院から処方された薬であっても長期間使用するとしもやけに効かなくなってしまう。(ステロイドのようなもの?)」と疑問をしめされていますが…。


が、しかし…私がたおれそうになったのは、「かゆいっていったら、なんでもステロイドだすわけですか」のその1点…。
accelerationさんも書いてくださったように、老人性の皮膚乾皮症にもステロイドがだされているよう…。うちの父も、内科のお医者さんにステロイドをだされてつづけ、もう10数年になります。
まさに深谷先生の写真3.老人性乾皮症型にそっくりな紅斑が、腕や足、背中にひろがっています。
母は気にしていますが、父は「医者のいうとおりに使っている」と律儀にステロイドをぬりつづけています(コメント欄と同じ話をくりかえして、すみません)…。でも、90になろうという父に、「それ、ステロイド依存性の皮膚だよ」などともいえず…。「年齢的に、しみとかもでやすいよね」なんて、言っています…。
ふっくんは…どうしようかしら。おー先生のところに、しもやけで受診するか、しないか…。
なやみます。


<にんにく風呂!?>
そういえば、「犬のアトピー」で検索していたときに、「にんにく風呂」情報にいきあたりました。
なんでも、にんにくをラップにつつみ、沸騰したお湯のなかで煮る。ラップをはがして、ストッキングなど目のこまかい布でつつみ、お湯のなかで手てつぶす。そのお湯につかる…。
犬のアトピーがこれでよくなったと…。
「すご~」とはなしていたら、ふっくん「それやってみる!」と。
やってみました…。沸騰したお湯で煮るのはちょっとめんどうだったんで、レンジでチンしてしまいましたが…。
う~ん、わかりません。でも、ふっくんはきにいってました。においもしませんでした(使用したにんにく2かけ…すくなすぎか!?)。

にんにくと言えば…ダンくんは、「酢づけにんにく」がお気に入り。
にんにくの皮をむいて、半分にきって、お酢につけます。2週間ぐらいで、ニンニクは青く、酢は黒っぽくなります。そしたら、食べ頃。毎日、たべます。
私もつきあわされました…。最初は、これ強烈です。胃もたれるし、におうし…。でも、2~3日でぜんぜん気にならなくなります。身体がにんにくにあわせているのでしょうか…。
味はからいし、かなり強烈。和食には、けっこうつらいですが、カレーとかピザ、パスタのときは、きざんでちらして、トッピングとして、かなりいけます。(でも、知人のなかでも「あれいい!」とはじめた人と、「あれ、げりになった」とか「においが強烈すぎ」とすごい不評の人にわかれました…)。

昨年の冬からはじめて、ほぼ1年たとうとしています。
ダンくんは、このおかげ(かどーかわかりませんが)で、ひどかった花粉症がこの春はぴたりとおさまっていました。昨年までは、鼻も目もステロイドづけだったのに…。秋もなんの症状もでませんでした。
私は…花粉症でもないので、効果はよくわかりませんが、風邪はたしかにひいてません。
ダンくんは、「これ、アトピーにもいけるんちゃうか」とふっくんにたべさせようとしてみましたが…。こどもには、ちょっと強烈だったよう。どうやら、食べられなかったことが、ふっくん、こころのこりだったのか…。
「酢漬けのにんにくは、だめだったけど、おふろなら大丈夫!」とのりのりです。

<きのうのふっくん>
湿疹のてっぺんが、けずれて血がでたところが数カ所。
「ここには、ぜんぶマキロン」と。
さいきんマキロンおきにいり。「どうなの?」ときいたら、「最初、ちょっとちくちくするけど、そのあとかゆくなくていいんだよね」と。
背中はかさかさしてきて、かいたあとが白くのこっています。これ、まさに乾燥しているだけ。なので、「これは、保湿剤がいいとおもうよ」とワセリンぬりました。
「さいきん、保育園ではどうなの?」ときくと、「う~ん、かゆいのかな~。よくわかんない」と言っていました。無意識に掻いてはいるとおもいます。
家にいるときも、どうでしょうか。
なんといっても、強烈にかいているのは寝入りばな。からだがあたたまってくるからでしょうか。ひとしきり、ばりぼり、ばりぼり、音がしだしたとおもったら、そのうち静かな寝息がきこえてくる…。そんな日々です。

【追記…】
きになって、「しもやけ ステロイド」で検索してみました…。わらわらでてきました…。
「しもやけには、ステロイドが一般的な治療方法です」とかいてあるサイトもあれば、
そもそも、ビタミンEいりのくすりすらつかわず、「しもやけには、ステロイド塗布で、4~5日で治癒します」と断言してあるサイトもありました…。リンクする気もうせました…。すみません。世の中、どれだけステロイドがあふれているか、あらためて思い知りました…。
ステロイド市場、こりゃ、巨大ですね…。