2011年2月28日月曜日

いまの状態で、できる工夫を。

2月28日(月)
<耳切れ、ならぬ、鼻切れ・・・>
いよいよ、2月も最終日…時間がたつのが、はっ、はやい!(泣)
おかげさまで、ふっくんは元気です。
先週は、ひっくんが高熱を発し、ねこんでいました・・・。この2月、すでに1週目に3日ねこんだふっくんは、熱こそだしませんでしたが、ひっくんとふたり、よく鼻をかんでいました。(あっ、かぜじゃなくて、花粉症!?)
左足もだいぶよくなってきました。
実は、膝の裏が、ちょっとひどいのですが
ただいま「よくなっている」自慢モード突入のふっくんは
うつしたくないよう・・・(笑)。
いや、とにかく、鼻切れ・・・いたそう。これにはメンソレータムぬってます。
でも、全般的に身体は、きれいです。先週は、なんだかわやわやしているうちに、きづけば保湿もしていませんが、あまりかわりありません。
もっとも、夜のねいりばなは、ぼりぼりかいています。


<いまの状態でできることをかんがえる>
この週末、ダンくんは、弱視の方(たとえば、「すーさん」とします)に話しをうかがう機会があり、「医者な〜。これ以上よくならんとおもったら、やっぱり、関心なくなんねんな〜。アトピーと一緒やって」と、かえってきました。
現在の眼科の基準では、0.04以下は「字が読めない」ことになっているそうです。
しかし、すーさんは0.01ですが、新聞がよめる。拡大読書機や拡大鏡を駆使して、その人は、読書も楽しんでいます。が、おおくの医者は、そんなことには関心がないようで、視力の回復のみこみのない0.04以下の患者さんに、あっさり「もう、字はよめません」と点字の学習をすすめる。
そして、弱視ではないおおくの親も、そう思い込んでしまうのだそう。親にしてみれば、「弱視が改善しない」と宣告された時点でがっくりきてしまって、現状を認めて、そこでできることを模索する意欲が奪われてしまうのかもしれません。
実際、拡大鏡にも使い方があり、マスターするにはこつがあるようですし、拡大読書機もこじゃれた外国製のは、縦書きがよめなかったり、つかいにくかったりもするようです。でも、当事者ではない人は、そんなことには気づかず、「機能がよさそうにみえ」たり、「おしゃれな外観」の外国製品なんかを買い与えてしまって、当事者がうまく使いこなせず、実際は機械の不具合にもかかわらず「あ〜、みえないんだ」と結論づけてしまったり・・・と。そのすーさんは、これまで試した拡大読書機なんかも自宅に展示してその使い方のこつと、特徴などもくわしく解説していらっしゃるそう。
また、この拡大読書機も高額らしいですが、弱視の方には申請すれば補助金がでるそうです。でも、医療者も自治体も、宣伝はしない。聞かれたらその存在を教える程度だそう。
こうしたこまかい配慮、いまある条件でどんな工夫ができるのかといったことを、いまの医療制度は考えてくれない。そんな話だったのだと、私は理解しました。
この話で思い出したのが、知人の憤慨です。彼女の家族が事故にあったとき「これ以上、改善がみこめない」となると、大病院からどんどん小さい病院に転院させられ、最後は放棄されたとなげいていました。
「完治すること」「改善すること」が目標に設定されているとどうしてもそうなってしまうのでしょうね…。「医学の進歩」って、なんなのでしょう…。

<「完治」をめざすと・・・>
たしかに、アトピー治療の現場も同じような気がします。お医者さんは「完治」をめざすから、よくなったりわるくなったりする患者さんとつきあうのが、いやになる。もう、めんどうだから「ステロイドつかうのが、一番」なんて標準治療で、手をうとうとする。
もっとも、患者の側にも責任はあって「完治する方法、かんがえろ!」なんてつめよったりしてしまう。
「完治」しないと、だめなんでしょうか・・・。社会には、いろんな事情をかかえつつ生きている人がたくさんいます。
「完治」をめざすことは、そんな「障害」「不治の病」「持病」をかかえる人の否定にもつながるような気がします・・・。

そうした意味では、「ステロイド以外の方法」を模索して、患者さんと、いかに「いい状態」を維持するかに悩み、そのこころみの是非をみまもってくれるお医者さんの存在は、すくわれる思いがします。ありがたいです。

4 件のコメント:

  1. そもそも「完治」なんてする病気ってあったとしてもほんの一部ですよね。
    (その中にはかぜのように自然に「完治」する病気も含みます)
    「完治」なんて医学用語でもないし、僕はこの言葉が嫌いで使いません。

    ところで、「大病院からどんどん小さい病院に転院させられ」って悪いことではないんじゃないでしょうか。大病院ってたいていは専門分化していて、急性期ならともかく、亜急性期や慢性期の治療やましてや生活支援は苦手ですし。問題は積極的にそうした役割を果たす中小病院が少ないこと、そもそも国の政策も大病院に手厚いことにあるんじゃないでしょうか。
    中小病院の勤務医として一言しました。

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  2. こんにちは。コメント、ありがとうございます!

    「大病院から、どんどん小さい病院へ」の説明が言葉たらずで、ごめんなさい。
    それ自体は、私も問題だとは思っていません。

    問題は、その知人が「病院から遺棄され、病院難民にさせられた」という気持ちにさせられたことです。

    知人の夫は、交通事故にあって「植物状態」になりました。それまで、「こんな手術はどうだ」「こんな新薬がある」といろいろ提案され、最初知人はありがたかったそうです。が、「状態確定」「打つ手なし」となったとたん「もう、うちの病院では、めんどうみれませんから」と規模の小さい病院への転院をすすめられた。そこでは最初から「状態のかわらない患者さんには、3ヶ月以上継続して入院していただけません」と断言され、以後、そんな感じで定期的に転院をくりかえしていました。
    あげく「もう、病院でできることそんなにないですし、自宅にひきとっては」的な発言も。「自宅でなくなられたほうがご主人もうれしいでしょうし、回復のみこみのないご主人をこれ以上看病するのも、たいへんでしょう」的な。
    この言葉も、「尊厳死」問題などと一緒で、解釈はむずかしいです。が、そのときの彼女は、「たしかに、私自身がそう思っていたけど、医療者から言われるとショックだった」のだそう。

    知人は、「治療実験の場に使えないとわかったら、医療者は患者をすてるんだ」と思ったそうです。

    さらに、「大病院なら、なんとかしてくれるはず」とかんがえている地方の夫側の親族は、小さい病院にうつらざるをえない状況の説明もきかず、ひたすら彼女を責めたという事情も彼女をおいこんだと思います。

    彼女も、看護婦さんたちは、すごく親切だったって言っていました。「植物人間なんて、言葉、ひどいよね。ちゃんと体の向きかえたり、体ふいたりすることで、ご主人、ぜったいきもちよかったり、うれしかったりするから」って、はげましてくれたり、一緒によりよい状態を考えくれたそう。
    お医者さんのなかでも、むろん、そうしてはげましてくれた人もいたそうです。
    が、経営サイドは、そうじゃない。「状態の固定している、いるだけの患者で、ベットがうまているなんて、無駄」的な扱いをうけたと。

    これはもう、医療者の問題ではなく、医療行政の問題だとはおもいます。

    私は、けっして「小さい病院がだめ」というつもりで書いたわけではありません。
    そうした「状態の固定した患者さん」を、ある意味、医療の対象外とみなし、阻害する状況に対してクレームがつけたかったのです。

    (もちろん、なんでも医療対象にすればいいかというと、それはまた問題含み。どんなふうに支援していけるか、社会全体で考えていく必要があるとおもいます。ただ、福祉の状況も貧困ないまの社会のなかでは、医療行政からこぼれると、行き場のない人がたくさんでていることは、確かだとおもいます)。

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  3. こんばんは(^_^)尼崎はかなり盛り上がった(いろんな意味で・・・)みたいですね。音声をもらえそうなんで楽しみです☆

    さてさて、僕が最近崇拝しているMIO先生の日記が最近更新されてました。http://members3.jcom.home.ne.jp/mioworld/incurable.html

    関東での皮膚科の大きな学会で「アトピーは対象療法を行うべき疾患である」と堂々と言おうという提唱があったそうです。これに関して色々な捉え方ができます。

    ステロイドが対象療法でしかないことをきっちり告げる。そうしないからよくならない患者がそのことに苛立ち、医師に不満をぶつける。きっちり伝えておけば、それを理解し、気長に頑張っていける。そういう捉え方ならかなり前向きやと思います。

    しかし「対象療法を行うべき疾患」という表現はあきらかに間違っています。ステロイドにしろ免疫抑制剤にしろ、社会的生活ができなくなるような副作用をはらんだ薬です。それを対象療法でしかない治療に使うのですから、その選択権は患者にあるべきです。どうして「使わない」という治療を頑なに否定するのか、その方が医師を苦しめるということがどうしてわからないのか疑問でなりません。きっちり説明した上で、使うかどうか患者に委ねれば医師は文句言われる立場にはありませんから。未だに謎だらけの疾患なんだから、医師もステロイドで治してやるなんて態度を取らず、もっと柔軟になってほしいです。

    うーん今日もまとまりのない文書に・・・うまく言えてるだろうか( ̄▽ ̄;)ふっくん良い感じですね(^_^)成人のアトピーは長く付き合う病気ではありますが、子供の場合、免疫バランスが整ってくると消失する可能性は大きいからそのへんは期待してもいいんじゃないでしょうか?ステロイドが出てくる前は85%くらいが大人になるまでに治っていたそうですから(^_^)

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  4. ノブコフさん、こんばんは。
    コメント、ありがとうございます!

    私も MIO先生のブログは、ときどき拝見しています。
    ノブコフさんが参考にされた文章も「医師」としてまっとうではあるとおもいますが、でも、やはり「医者だな〜」とも。
    もっとも、彼女の「おそらくいつかは、治せる治療も生み出されることだろう」という言葉は、アトピーに苦しむ人たちへの希望として書かれている可能性もあります。
    だとすれば、私はすこし救われますが、もし本心だとしたら、傲慢な気もします。
    「人には、できないことがある」こうしたある種の「あきらめ」が、あるときは人生を生きやすくし、あるときは「謙虚」な気持ちをうむとおもうんです。

    医者がいまのように「いばりたがる」のも、歴史的な蓄積のたまものかもしれません。ヨーロッパでは、医者は「卑しい職業」でした。日本でも。
    明治時代にはいって、西洋医学がはいってきたのちも、その地位はひくく、官僚のあいだでは、したっぱ扱い。それがゆえに、相当がんばったはずです。いまのように、権威になるためには。だからこそ、よけい手放したくないかもしれません(これは、あくまで一般論です。例外はたくさんいるはずです)。

    また、そうでなくても、訴訟時代。「標準治療」とかガイドラインは、ある意味、医師の防衛手段。患者本人や家族が希望したとおりに治療したって、いつなんどき、宗旨替えをして訴えられるかわからない。まえに、藤澤先生が訴えられたようにです。
    そうした意味では、いまの社会は、医師にかぎらず、窮屈な状況をうんでしまったと思います。
    もっとも、だからといって、「標準治療」推進派医師を弁護する気にはなりませんけど。

    というわけで・・・私がかんがえていることは、ふたつ。
    1.医学はいつか感染症を撲滅できるとか、すべての病気はいつか治せるなんて考えるのは、ナイーブすぎるし、傲慢ですらある。
    2.べつに、ちょっとぐらい、病気だって、「へん」だって、いいじゃん。

    です。

    ノブコフさんが、ご自分が悩まされしんどかったぶん、「アトピーが消える」ことを望まれる気持ちは、強いとおもいますし、それだけ他のアトピーの人にたいしても「なおるといいね」と祈るような気持ちでいてくださるのだとおもいます。
    私も、ふっくんが、夜中に絶叫するほどかゆがる日がまたくるのは、勘弁してほしいです。
    ふっくんもしんどいでしょうし、みているこっちもつらいです。
    でも、それでも、そんな日がまたきたら、ふっくんにつきあおうと思います。
    「なるべくいい状態がつづくように工夫したい」とおもう一方で、
    「いろいろかかえてても、いいよ。それがうけいれられる社会であってほしいし、それにふっくんにとっても、そうした「なやみ」をもっていることは、彼の人としての幅をひろげていくことになる」とおもいます。

    私は、こどもの目の前の障害をすべてとりのぞいてあげようとするような親では、ありたくありません。
    こどもの前に障害があらわれたら、一緒に時間をかけて、のりこえたり、迂回する道をさがしたいです。
    そんな気持ちで、ブログ書いています。

    いつも、やさしい言葉をかけてくださるノブコフさんをがっかりさせてしまうのは、心苦しいですが・・・。

    私は、医者に「ふっくんをなおして」なんて、思っていません。ふっくんのアトピーがなおってほしいとも、思っていません。私が医者に求めるのは、過去の臨床知のなかから、できるだけいい状態がつづくような知の提供です。

    そして、私は親として、ふっくんがアトピーをかかえながらも、のびのび、生活できる条件をととのえるべく、「運動」していきたいと思っています。
    それが、まさに「バリアフリー」な社会の構築につながると考えているからです。

    「なおりたい」気持ちを否定はしませんが、でも「なおることがすべて」になってしまうと、自分をおいこむし、不治の病や状態が固定しがちな障害をかかえる人への否定にもつながるとおもっています。

    ごめんなさい。
    辛口すぎるように、私も思います。しかし、このあたりは、私の勉強領域の一部なので、うわっつらで「ありがとうございます〜〜」とは、かけませんでした。
    ご容赦ください。
    これにこりず、またコメントくだされば、うれしいです。

    おやすみなさい。

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