2010年12月6日月曜日

「責任」をもつ、「問い」にこたえる

2010年12月6日(月)
<しばらく、更新回数を週1回にします>
このブログを、毎日のぞいてくださる方々、ありがとうございます。とてもはげみになっています。
アトピーについて、ステロイド使用について、子育てについて…まだまだ、考えたいことはたくさんありますが、いよいよ、義理ある仕事が、せっぱつまってきました…。
これから3ヶ月ほど、ブログの更新は、週に1回程度、ふっくんのアトピー経過記録のみにする予定です。
3月になりましたら、また、いろいろな本を参考に、かんがえていきたいとおもいます。
おやすみにはいる今回は…哲学をまなんでいる方の本を紹介したいと思います。

<「責任」ということ>
さて、ブログをはじめて3ヶ月ちかく、ダンくんにはずいぶん笑われ、心配されてきました。
「これやっとるひま、あるん?」「あんた、逃避ではじめたブログのためになんで本買い込んで勉強しとん(爆)」などなど。
たしかに、逃避といわれれば逃避…。しかし、これまでさきおくりしてきた課題といえば課題…。
私にとって、ふっくんのアトピーは、私が責任をもって対処せざるをえない問題だともおもってきました。
中真生さんという哲学を専門にしていらっしゃる方がこんなことを書いていました。

自分ひとりのことならば、どのような損害や評価も甘受しうる。それを背負うのは自分だからだ。しかし、人のものを預かり、自分の裁量にゆだねられているにもかかわらず、その結果は自分(だけ)はなく、他人が背負っていかなくてはならないとき、私たちは責任を感じうる。逆に、私たちが人に責任を問いたくなるのもこのようなときだろう。あなたが関わって残した痕跡を、私は背負っていかなくてはならない。その重みを認識して欲しい、償って欲しいと。
中真生「責任」飯田隆ほか編『モラル/行為の哲学』(岩波書店、2008年、p.249)

たしかに…自分のことならば、ここまで悩まないかもしれません。しかし、いまの私の選択が、ふっくんの今後の人生に大きくかかってくるとしたら、それはたちどまって熟慮せざるをえない。いつか、彼に保護者としての責任を問われたとき、「でも、わたしはあのとき、問い、なやみ、かんがえうるかぎりで最適だとおもう方法を選択した」とこたえたい…。それがまちがていたならば、私もいさぎよく彼に謝ることができる…。
そんなふうにおもっています。これは、一方で私の責任であり、重荷ですが、一方で私の存在証明ともなりえているかもしれません。

こんなふうに考えると、こどものアトピー支援において、親としてアトピーにかかわってきた人の態度が、当事者としてアトピーにかかわってきた人にとっては、「重い」「うっとうしい」「やりすぎ」と感じられる背景もクリアーになるのではないでしょうか…。

親は責任をかんじています…。しかし、考えうる選択肢はだれにでも平等にひらかれているわけではありません。情報収集のスキルが必要です。そのスキルにたけていなければ、択肢はかぎられます。さらに選択肢を手中にしたとしても、選択指針をきめるリテラシーが必要です。リテラシーは訓練なくしてみにつきません…。
つまり、私たちは一般的に、権威のあるもの、声の大きいもの、知人のすすめるもの、おおくの人が従っているものに、判断をゆだねることになります。しかし、アトピー治療の現場は、混乱しています。判断をゆだねる代理責任者の選択すら迷いが生じます。
自分の判断に自信/責任がもてきれないと感じている保護者にとって、「過干渉になる」という選択肢しか残されていないのかもしれません。

アトピー治療の混乱を、混乱のままえがき、自分ならどんな選択をするのかシミュレーションできる…。そんな、記録がいま必要とされているとおもっています。
この混乱に対するまよいは、そっくり、今日までの私の経験でもあります。今後、アトピーやアレルギーと診断されたお子さんをもつ保護者の方がこのブログをみてくださったなら、ぜひ9月のあたまにもどり、私とふっくんの経験を追体験し、ここまでの道程を批判的に検討してください。
お子さんにとって、すこしでも満足のいく「責任」のもち方をみつけてくだされば、幸いです。

<「問い」をはっする>
さて、この中さんは、こんな文章も書いていらっしゃいます。
中真生「問いつめる」松永澄夫ほか編『哲学の振る舞い』(東信社、2010年、p.71)
・「問いは思考を立ち上げ、始動させる」
・「問いは、思考が進むのを後押ししてくれる杖のようなもの」
・「問いがやみ、あるいは生まれなくなるとき、思考もまたやんでしまう」
そうだな〜としみじみ思います。
「このブログのスタイル、これでいいよ」と中さんにはげまされたような気持ちになりました。
このブログを書きはじめて以来今日まで、私の頭の片隅にはつねにアトピーがあり、つねに問いがうかんでくることに、われながら閉口することもありました。
しかし、この次々とうかびあがる問いのおかげで、私はずいぶん、距離をおいて、ふっくんと彼の肌をみられるようになったともおもいます。
というか、問のこたえをみいだしたいという思いが、ふっくんの肌ばかりに気をとられる時間を大幅に減少させた効果かもしれません…。
いずれにせよ、まだ、宙に浮いたままの問いは、たくさんあります。こたえがみつかりそうな本もてあたりしだい購入し、周囲にならべています。
いまの仕事がおわったら、一冊ずつ手にとり、みなさんとかんがえていきたいとおもいます。
そのときは、またご意見ください。よろしくおねがいします。

<今日のふっくん>
ちょっと、湿疹が乾燥してきて、いいかんじです。とびひだとおもった湿疹は、アクアチームをぬったら(これも、家にありました…まえにふっくんが毛のう炎と診断されたときもらった薬です…)、ちくちく痛いというので、「もしかして、とびひじゃなくて、ヘルペス!?」とまよいました。よって抗生剤の内服はやめ、ぬり薬はゾビラックスにかえてみました。こんなかんじになっています。本人は「このでこぼこが、きもちわるい!」とすごくいやがっています…。しかし、そのほかはきれいになりつつあります。この夏からしつこく、じくじくとかさぶたをくりかえした右足のすねは、いま薄皮もあつくなりつつあり、ほとんどかゆみもないようです。本人は「これが、よくなったんだから、ほかもぜったい、このくらいにはなるよね」と自信をふかめているようです。
ひじの内側のでこぼこをいやがっています!
じくじく部分には、マキロン。かさかさでかゆみのあるところに保湿剤。左肘の内側にゾビラックスをぬりました。
さて、しろうと療法もそろそろ限界です。今週中には、仕事をやすんでしーな先生のところにいってみます。
(その顛末に関しては、ご報告します!)

2 件のコメント:

  1. ぼくはこんな体になったこと、ステロイドを子供の頃から使われ続けたこと、決してお母さんを恨んだりしてませんよ(^_^) お母さんが忙しい中で、車で遠くの病院まで連れていってくれたり僕のために色々してくれたこと知ってますからね。口下手だからうまく「ありがとう」って言えないけどなんとか遠回しに感謝は伝えようと努力してます(^_^) この歳になったから気づいたことも多いですが、親の気持ちは必ず子供に伝わると思います。あまり深く考えすぎず、子供のために一生懸命なぴーふけさんは誰よりも良いお母さんですよ(^_^

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  2. こんばんは。やさしいコメントをありがとうございます。
    泣きそうになりました(笑)。

    ふっくんはただいま、よくなってきた右のすねが「希望の星」(笑)。
    左肘の内側が「絶望の証」(爆)のようです…。
    ひとりで、「ここ、いたい〜。でこぼこして、いやだ〜はやくよくなれー」「うわ−、ここすごくよくなってきたー。がんばれ〜」などと、肌にかたりかけています。
    大きくなったら、こんなことも忘れてしまうのかしら。
    ちなみに、ノブコフさんのコメントに、ふっくんは「そんなことな〜い!おかーさん、わるい〜」と。ひっくんは「まー、ひとのおかーさんってのは、よくみえるからね」と、クールにいいはなち、寝に行きました(爆)。

    すてきな夜を!

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