2010年10月9日土曜日

医者は、科学者ではなく技術者!?

2010年10月9日(土)
<医者は、マニュアル職人!?>
昨晩、怒りのあまり眠れず、賛同をえられそうな(笑)知人に、メールをおくりまくりました。
「それ、医者があほすぎ」「かなしいですね〜」などなどの返事をくださったみなさま、ありがとうございます。
気持ちを共有してくださって、おちつきました。

さて、その中で…「医者なんて、科学者っておもわれがちだけど、マニュアル職人だよね」とか、「ただの技術屋に期待しすぎだよ」というメールもあり…。
「うん? そうか??」「そうかも」「そうだ」と納得してしまいました。
その過程を言葉にしてみると…

医学とは…
①「いろいろな症例を収集し、その症例のなかからパターンをみつけ、その対処方法を提示する」
②「この提示されたものを反復・検証して、治療方法を確立する」
③「確立した治療方法を学習し、ひろく患者に対峙する」
この3つから、なりたっているように思います。

この仕事におもに対応する機関としては…
①が大学や研究所 : データ収集と分析を主とする「科学者」的しごと
②が大学病院や総合病院 : 臨床や治験にあたり、実験をくりかえす「研究者」的しごと
③がまちのお医者 :「治療方法」をマニュアルとしてみにつけ、治療にあたる「技術者」的なしごと。

【いいわけ・その1】
これは、あくまでイメージで、医学がこのように分業されているといいたいわけではありません。
しかし、医学とは、①→②→③のステップで成立してきた学問分野であろうし、また現在の社会構造を考えるとすれば、病院の位置づけとして、こんな分類もできるかもという想像図です。むろん、この3つのステップをつねに臨床の場でいかしている、街のお医者さんというのは、いるとおもいます。
【いいわけ・その2】
さらに、なにをもって、「科学」「研究」「技術」とわけるかというと、こころもとないですし、よりふさわしい言葉があるとおもうのですが、とりあえずここのイメージとして「あらたな発見・追求」を「科学」、「反復してデータの確実性を検証する」のを「研究」、「検証されたデータをもとに、忠実に再現する」のを「技術」とよんでみたいとおもいます。

と、いいわけを2つしたところで、本題です。

ここで、「科学」「研究」「技術」に優劣はありません。
ただし…「科学」か「研究」の段階でまちがってしまうと「技術」の段階で、おおきな「ズレ」が生じてしまうのは、たしかです。
そこで、「技術」がその「ズレ」を「科学」にもどし、「研究」しなおし、また「技術」にもどってくれば、「ズレ」はすみやかに修正され、いわゆる「科学技術の発展」につながります…。
しかし、その「ズレ」を、「科学」の場にもどさなければ、どうなるか…。
実際、医者として「技術」があれば、経営はなりたちます。「科学的態度」や「研究的態度」は、一般の患者は求めません。「症状への対処」としての「技術」をもとめて、医者をおとずれます。
それなのに、「良心的に」あるいは「センシティブ」に、「科学」に再考をもとめていたら、その再考中は「技術」を提供できなくなってしまします。これは、医者としては、脅威的な状態でしょう。
しかし、「ズレ」にめをつぶる/「なかったことにする」ことを選択すれば、自分の立場は安泰です。
「技術」がきかない患者を叱り、「自己責任だ」とおいこめば、良心もとがめずにすみます。

こうして「ズレ」を報告しない構造が形成されてしまうと、「科学」は自説が正しいと確信しつづけることになります。
おまけに、「医学界」は、数々ある業界のなかでも、縦割り社会であり、権威主義的な場です。
この「技術」が発見した「ズレ」を「科学」にもどし、「研究」するケースがあったとしても、その結果をうけつけない構造が、「医学界」にできている可能性は十分にあります。
(もっとも、「なにを病気とするか」「ある症状をどう命名するか」にかんしても、権力闘争ではあるとおもいます。たとえば、アスペルガー・高機能自閉症・広汎性発達障害…こうした「診断名」がたくさんありますが、これも…最終的には「つかった人が多い名前がのこる」よう…。かならずしも、権力闘争だけではないでしょうが、でも、自説をだしたら、それを支持してもらえるとうれしいのが、人情ですよね…)
理屈っぽくなってしまいました。
ごめんなさい。


<「平常どおり営業中」>
いや、しかし「ズレ」を報告しない、「ズレ」に目をつぶる「技術者(医者)」だけが、わるいわけでもありません。
現代社会では、「病院」「学校」といった市民の信頼を必要とする場では、「スキャンダルがないこと」「波風がたたないこと」が重要です。
「平常どおり営業中ですよ。安心してきてください」とPRする使命をおっています。
そんな場で「いままでの治療方針、まちがってました。ごめんなさい」なんてスキャンダラスなこと、できません。
病院は、患者がへるだろうし、そうすれば、経営難におちいります。
(ぜんぜん、関係ないようですが、セクハラ教員がでたとき、マスコミをとおして謝罪をした学校は、その年、入学者が激減、人気回復までに長期を要するようです。だからこそ、学校はそうした「不祥事」をひたかくしにします。ということは、「スキャンダルのないおちついた学校」とみせかけ、その実、セクハラ教員をかばい・「被害者」を沈黙させようとする学校にだまされ、こどもをおくりこんでいる可能性は高いです。「潔い謝罪」が評価される社会でなければ、いくらマスコミが「不祥事かくし」をたたいても、「不祥事をかくす」企業・学校・病院はへりませんよね)

またまた、あーちゃんがおしえてくれましたが、深谷元継医師(2chのアトピー板では、モト先生として親しまれ、尊敬されているようです)が、退職にいたる過程には、国立名古屋病院が法人化されるにあたり、脱ステでは採算がとれないことも原因の一つだったよう。
だとすると、上記のことがらがすべてあてはまってくるような…。
・ステロイドはアトピー治療に不可欠という「科学」→「研究」→「技術」として確立してきた方法に異を唱えた。
 そこで、「ふとどきなやつ」「患者を不安にさせるスキャンダラスな医者」としてバッシングにあう
・「科学」→「研究」→「技術」として確立した治療方法に、医療点数がつく医療制度になっているため、そうした制度にのっていない、患者の脱ステロイドを支持する治療方針では病院の採算がとれない。そこで、経営上の観点からも、治療方針の再考をせまられる。


なんか、考えていたら、よけいつかれてきました…。

深谷先生、おつかれさまです。でも、あーちゃんによると、先生の蓄積されたステロイド依存に関する情報発信は、アトピー患者さんたちに大きな希望をあたえているそうです。ありがとうございます。
佐藤健二先生のブログにも、「深谷元継脱ステ活動再開」を喜ばれるている記載がありました。

そのほかにも、真摯に「ステロイド依存」にむきあっているお医者さんは、すくないけどいらっしゃるようです。こちらからは、うかがいしれぬしんどさなのだとおもいます。ご自愛ください。
そうした先生方の存在に、はげまされているアトピー患者はたくさんいます。

そういえば、「日本医学界のアメリカ追従」や「EBM(根拠に基づいた医療)の僅少さ」を批判するものに、以下があります。たしかに、医学界に対する怒りではしっている部分もありますが、うなづける考察が、たくさんあります。
米山公啓『医学は科学ではない』筑摩書房、2005年



<『第三の脳』>
さて、きょうもふっくんは、遠い空で、ばりばりかきながらも、ぱたっと眠りにおちたと連絡がきました。
よかった。最後は、ほかの話題を。
タクティールケアのことを書いたら、「そうそう「さわる」って、いいんだよ」とあーちゃんが、メールをくれました。で、傳田光洋『第三の脳-皮膚から考える命・こころ・世界』(朝日出版社、2007年)をすすめられました。そのタクティールケアをすすめてくれた人も、同じ本を絶賛。というわけで、買ってみました。
おもしろかったです。
とくにカエルのはなしが!
ちょっと残酷なのですが、脳をきりとったカエルを宙にぶらさげておき、背中の一部に刺激をあたえると 後ろ足でその部分を正確にかくのだそうです! そんな実験をしている研究者がいるそうです。 だから、脳はなくても皮膚はあれこれ考えているというはなし…。
脳の組織は、皮膚の組織にかぎりなくにていて、だから皮膚は第三の脳と筆者はいうわけで、カエルのはなしは、ほんの一例ではあるのですが、強烈でした。
おもしろい本を紹介してくれて、ありがとうございます。
(もっとも、紹介してくれた方たちは、「くいつきどころは、そこちゃうやろ!」とつっこんでいるとおもいますが(笑))

おやすみなさい。

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