2010年10月16日土曜日

ステロイド離脱と…脱線してふたたび「性」

2010年10月16日(土)
<ステロイド離脱への道>
きょうは、ふっくんの保育園は運動会。
年長さんとして、ちっちゃい子たちのお手伝いをしているみんな。
「かっこいい!」「おおきくなった!」
ふっくんも、なんだかおちついたな〜と、感慨にひたっていましたが…。
いや、このおちついてみえるのは、掻いてないから!?
そういえば、ときどき、ふくらはぎや手をかいているけど、でも前みたいに、「ぐわ〜〜〜っ」とかんじで、かきむしってない。
去年の運動会は、すわっていても、周りの子たちと話しながら、あっちをばりばり・こっちをばりばり。
たっているときも、足の甲を反対側の足でこすってみたり。しゃかんでいるときも、あたまや首をぼりぼり。


ダンくんが、スカイプであーちゃんにさっそく報告。
「すごい! きれいになってる。さすが、こども!!」と感嘆の声。
ふとみると、ダンくんのうしろから、みっくんがのぞきこんでいました。
「や、この人、ちがいますから…(笑)」
「そっくりすぎや〜〜!!」とあーちゃん、逆ギレ(爆)。
「おーい、ふっくーん。あーちゃんが、かおみたいって−」
よろこんではしっていくふっくん。
さてさて、あーちゃん先生の診断は…。
「うん。よくなってる。けど、このまま、おちつきはしないよ。これから、皮膚が、がさがさはがれおちるときかくるとおもう。それが、いつかはわかんないけど…。でも、それがくれば、ほんとに、ステロイド離脱完成だから。まー、でも、そういう人がおおいってだけで、必ずしもそうじゃないとこが、難しいんだよね〜」

うん。きっと、あーちゃんの脱ステも、ふっくんの脱ステも、そのほか、おおくのブログのみなさんの脱ステも、それぞれにているけど、同じじゃない。普遍化できないところがむずかしいし、皮膚科医ばっかりせめてもしかたないところ。
だからこそ、ひとりひとりが「わたしの場合、どうなのか」と考えられる材料が必要じゃないかとおもいます。
「病気のこと、勉強してくる患者は、うっとうしい」なんてお医者さんがいることが、残念だし、かなしいですよね。
「一緒に、アトピーとつきあっていくよ」って、いってくれるお医者さんが、いれば、劇的によくならなくても、精神的に安定して、身体状況はおちつくとおもうのだけど。

「アトピーの子をもつおかーさんと気持ちを共有したい!」とはじめたこのブログ。一ヶ月たっても、あいかわらず「アトピー仲間」は、あーちゃんだけだけ(笑)。
ブログの人たちの写真も、佐藤健二先生・深谷元継先生の本も、はげみになるけど、そのときどきに、かけてもらえる言葉って、やはりありがたいです。あーちゃん先輩、これからもよろしくです。

ダンくんは「でもなー、あんなにおちついとんやったら、このままでもいい気がしてきた。たしかに腕も足も、がさがさでキズだらけ。まえより見た目は、わるいけどな。でも、皮膚がいっけんすべすべしとっても、まえみたいに「かゆみ」にとらわれてんのは、本人もつらかったとおもうわ。ステロイドやめるて、どーゆーこっちゃとおもってたけど、よかったんちゃうん」

脱ステ一ヶ月にして、ダンくん路線変更。よかった。
いや、もちろん、わたしたちは、しょっちゅう「それ、ちがうで」とケンカしてますが、でも子育て方針は、大枠で一緒じゃないと、お互いつかれるし、それにまきこまれる子どももたいへん…。
でも、ダンくん、脱ステに関しては、しぶい顔しつつも、黙ってみていてくれて、ありがとう。
もし、反対の立場だったら、わたしは大騒ぎしてたとおもいます。


<脱線ではありましたが…包茎ねた>
おもわぬ反響がおおきかった包茎ねた。
このまえの医者の「障害者差別」の話といい、こんどの「包茎」といい、なんかアトピー以外の話題に、よりくいついてくれる知人たち(笑)…。

「そういえば、うちの子、むけてんのかしら」「だんなは、どーしてたの?」とわたしの知人たちは気になったそうです。
でも、「だんなさん」にたずねても、はっきりいわない人がおおかったよう。
「わすれたのか、てれくさいのか…。でも、わたしたちがおもっているより、男の人にとってペニスの話は、デリケートらしいよ」。
「でも、うちのだんなは、ステロイドで皮をのばす話、しってたって〜」とか。
「包茎手術でえらいめにあった友人の話、おしてくれた」とか。
なんか、どこの家の「だんなさん」も、自分以外のことになると饒舌らしい…。
たしかにね〜。「猥談はしても、セックス系の自慢はしても、性にかんする悩みは相談しない」って、男性っぽいです。
不自由ですね…。
うちの息子たちは、どうなるのかしら…。下ネタついでに、自分の悩みも相談できて、なおかつ後日ネタにして笑えるぐらいになってくれると、生きやすいだろうなーとおもいますが、親の希望どおりにならないのが、こども…。
まー、自分で悪戦苦闘して、がんばってください。

<もっと、脱線。セックスねた(すみません!)>
「ほんと、セックスの話って、こっちは切実でも嫌う人おおいよね。あれ、なんでかな〜」とメールをくれた人も。
最近読んだ本に、長谷川まり子『がん患者のセックス』(光文社、2010年)があります。「最後にふれあいたいな〜」とおもいつつ、お医者さんに「セックスして、大丈夫ですか?」ときけなくて、相手に負担をかけることを恐れて、そのまま相手が亡くなってしまった人の話や、お医者さんに「なにきいてんの?」的な扱いされて、二度ときけなかった人の話など、読んでいて、つらくなりました。
ホワイトハンズというNPOがあります。障害をもつ人の健康を、性的な面でも補助したいと、射精の介護をはじめ受精介護など、をはじめた団体です。
このモデルはオランダにあり、河合香織『セックスボランティア』(新潮社、2004年)に詳しいです。
これらの取り組みに対しては、「そんな、性にこだわらなくても」って批判もおおいようです。が、それって自分の意志でとおざけたり、ちかづいたりできるから、言えることかも。ある意味、幸せな状況にあるってことではないでしょうか。
障害があって、手がうごかせない。自分の性器もさわれない。末期がんで感染症をうつしたらこまる。さわりたいけど、キスしたいけど、感染させたら…とこわくて、うごけない…。
そんな立場にある人に、「そんな性にこだわらなくても」という意味は?
そうした「客観的批判」によって、状況をみなおす冷静さを当事者にあたえる? そういうこともあるかもしれません。
が、「客観的」というのは、ある意味「ひとごと」、つきはなされたとよけい人をおいこむかもしれませんよね。

「こどものアトピー、そのうち、なおるっていうけどね。まー、気になるなら皮膚科医でもいってみてください」と、ステロイドだしつつ、つきはなす小児科医のように!? ひとごと、無責任。むかっ。

<話題がやっと、もどりました!(笑)>

結局、問題は、「アトピー」とか「性」とか、「アスペ」とかそんなことじゃない。どれだけ、一緒にこまって、一緒にかんがえてくれるかですよね。
みんな、親身になってかんがえてほしいし、かんがえてくれる人がそばにいるとほっとする。
だから、「話題にできないこと」があると、くるしくなるし、かなしい。

私が、保育士さんのお便りになけてきたのは、いっしょにふっくんをそだててもらえる、私の子育てを、保育士さんに認めてもらえているという安心感にあったとおもいます。
あーちゃんが「秘密結社」といっていたように、私も「ステロイドやめることにしました」とおたより帳にかくのは、勇気がいりました。
「おかーさん、ステロイド、こわがらなくていいよ」って説得されたらどうしよう。「非科学的だよ」って笑われたらどうしよう。みためだけなら、どちらかというとひどくなっていくふっくんのからだをみて、「おかあさん、ひどくなってるよ。お医者さん、つれてったほうがいいよ。こわがらなくて大丈夫」とか、いわれてしまったらどうしよう…。
そんな不安がいっぱい。
でも、保育士さんはわたしの手紙をよんで、「わかった。ステロイドは副作用があるからこわいって人もいるもんね。おかあさんが、そのつもりなら、それでがんばろうね。ほかの職員にもいっておくからね」って、うけいれてくれた。
ほんとうに、ほっとしました。
保育士さんみたいなスタンスをとれる医療関係者がふえたら、私たちの生活ももっとしやすくなるかもしれません。

こんなことも、声をあげていけたらいいな〜とおもいます。

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