2010年10月11日月曜日

“脱ステ”のおもわぬ効用

2010年10月11日(月)
<どなる わたし…>
じつは、私、けっこうよく怒鳴ります。
うん十年いきてきて、これ、なおらないです…。
『怒りのセルフコントロール』(レッドフォード・ウィリアムズほか著、創元社、1995年)なんて本もかったことありますし、「うん、いいね~」なんて熟読・再読しましたが、あんまりかわりません。


どんなときに、どなるのか…。よくあるのは、
ひとに「はやく」ってせかされたときとか
「遅刻しそうだ!」ってときに、人がのんびりしてるとか
「どうすればいいの!?」とパニくって、「だまってよ!」とか「はやくして!!」とか、どなる…。
(ん? これって、よく考えたら相似形のはなしですね…。やっぱ、自己中なだけ!?(爆))
あっ、でも、私、パニックってとかきましたが、そうか。私は自分が「短気」なのかとおもっていたけど、私がどなるのは「パニック」のせいかも…。うん。「どうしても遅れてはだめなのか」とか「人には、それぞれペースってものがあるから」と、一息おいて考える余裕があるときは、そういえば、怒りません。
脱線しました。ふっくんの話でした。

<そのわたしが、どならない!?>
私、さいきん、朝、ふっくんに怒りません。
まえは、「保育園に行く前に、薬ぬらないと」「あ~、はやく朝ご飯たべてくれないと、薬のめないよ」なんて、いつも気分がせかせかしていました。
脱ステ・脱保湿のいま、いつのまにか抗アレルギー剤ものまなくなって、「ふっく~ん。保育園いこ~」
あさごはんたべなくても「じゃー、バナナもって車にのりなよ」的な…。
なんか、おきらく。

この連休は、連日仕事で、今朝もはやかったのですが、いつもなら「でかけるまえに、薬ぬっておかなくちゃ」と、むりやりおこすか、ねているふっくんに薬をぬって、寝起きの悪いふっくんとのうぎゃうぎゃ大騒動がくりひろげられていましたが、いまは、そっとのぞくだけ。
なんか、かなり気持ちがらくちん。

たしかに、ふっくんのからだは、「すごくよくなった」とはいえないけれど、この気もちのらくちんさは、きっとふっくんも同じじゃないかな。

ステロイドや保湿剤をつかっているころは、
「ちゃんと、ぬらないと、ひどくなっちゃうよ! でもって、また医者に怒られる!」と、いつもパニックだったような気もします。

なんか、いまのほうが、ずっと たのしい。
ステロイドにふりまわされない生活、ふっくん、一緒にめざそうね。


<パニックといえば…>
やっぱり、ひっくん。にてます…わたしと。
そのひっくん、あいかわらず「ふっくんは、からだかよわいけど、ぼくは元気。病院なんて、いらない」ってときどき言ってます。
このまえの、予期せぬカミングアウトは、彼にとってどうだったの?と、きくにきけず不思議でした。
ところが、昨日は、自分から「おかーさんのブログに、今日もひっくんでてきた? ところで、アスペルガーってなに? うちにもやたら、本あるし…。それ、ぼくのなまえ?」ときいてきました。
(なまえって、どんな意味で?)とおもったけど、そこつっこむと、話がほかにながれそう…。
いい機会だとおもって、カミングアウト第2弾にはいりました。

<アスペルガー:カミングアウトその2>
「なまえっていうか…。まー、特徴みたいなものかな」
「みんなあるの?」
「みんなはないけどさ~。でも、そそっかしい子っているじゃん、サザエさんみたいな。そういう人をADHDって名付けたり、「頑固で無口な子」をたとえば、アスペルガーってよんでみたり、漢字が苦手な子をLDっていってみたり、そんなかんじ?」
「アトピーは?」
「うーん、アトピーは行動の特徴じゃなくて、皮膚の状態の特徴だから、ちょっとちがうけど、まー、その人の特徴の一つをしめす言葉としては、おなじかも」
「そんなの名前つけて、どーするの」
「どうするってな~。どうもしないんだけどさ、まー血液型占いとか星占いみたいなもんだよ。
この血液型の人は、こんな人だからこうつきあおうとか、この星座の人はこんな人だから、こんなことに注意しようねみたなの、あるじゃん。で、血液型とか星座しっただけで、その人のこと知った気になっちゃったり。まー、それと似てるよ。「アスペの人は、こんな人。だから、こうつきあおう」みたいなね。まぁ、これは血液型や星占いなんかよりずっと正確だから、使えるけど。でも、アスペだからって、同じ人はいないわけだし。まー、ただの分類?」
「星占いとは、ちがうでしょ。あれ、あそびじゃん」
「いや、昔の人は、真剣だよ。だんだん、ほかの視点でみる人がでてきて、いまはあそびだって思う人がふえただけ。人は、むかしから分類するのが、好きなんだって。ほ乳類とか、昆虫類とかあるじゃん。あれだって、「こうやって、わけよ~」っていいはじめた人がいて、そんなの好きな人が、わらわらあつまって相談して、「じゃー、これがいいと思う人」「は~い」なんて、かんじ」
「それ、多数決ってこと!?」
「わりと…そんなかんじ」
「じゃー、ぼくにもできるじゃん」
「うん。でも、ひっくん案に賛成しようって、他の人たちが思えるような、説得力が必要だよ」
「じゃ、ぼくが、アスペルガーって人たちのなかの一人だってわかって、なにがいいの?」
「う~ん。らくな方法をみつけやすいってだけ。「なんか、かわってんな~ぼく」「なんで、かわってんのかな~」ってなやむと、つらいよね。でも「かわってるのは、アスペだから」っておもえば、それについてはなやまなくていい。で、たくさんのアスペの人が「こまったとき、こうしてきたよ」みたいなヒントをいっぱいのこしてくれてるから、「じゃー、ここから、えらぼうかな」的に、つかえる。そのくらい。それ以上でも、それ以下でもない。ぼくは、アスペじゃないとかおもうなら、研究者になって「アスペルガー」の分類をかえようって、医学界に提案してみるのも可能。時間かかるし、それがおもしろい仕事かどうかは、わかんないけど」

「…。ふっくんのアトピーも、じゃー、アトピーじゃないかもしれんの?」
「それは、わからない。アトピーかもしれないし、ステロイド依存症かもしれない。でも、皮膚がかゆくなりやすいこと、乾燥しやすいってのは、事実。それに、どう名前をつけて、どういう治療法をとるかは、医学を勉強している人がきめること。だから、かわる可能性は、いつもある」
「じゃー、医者もまちがえる?」
「こともある」
「おかあさんの説明は、ただしい?」
「『おかしい!』って怒る人もいるかも。おかしいかどうかは、きみがもっとたくさん勉強して、本をよんで、いろいろ考えて、ゆっくりきめれば、いいよ。というわけで、今日の分の勉強した?」

ひっくんは、「やったし!」と言い切って、すっと立ち上がると、「ふっく~ん、きょう、はやかったら、ねるまえにDVDみよ~」と言いながら、ふっくんたちのほうに去っていきました。
説明が、禅問答っぽかったかしら…。そいや、この話では、結局なにがアスペルガーかさっぱりわかりませんね(笑)。がんばれ、もうすぐ10才児!

おとなのかたへ…分類については、私は、これがおもしろかったです。
池田清彦『分類という思想』新潮社、1992年

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