2010年10月8日金曜日

皮膚科医はアトピーがお嫌い?〜障害と差別〜

2010年10月8日(金)
<アレルギーの権威と差別意識>
きょうは、つかれました。
人間、激怒するとエネルギーを消費するのだと、つくづくおもいます。

本日は、「アレルギー」の権威とされる医師の講話をききました。
が、激怒して中座してしまいました。こんなに激しく怒り、悲しくなったのも、ひさしぶりです。

なにが怒れたのか…。
彼の話は、ぜんそくにステロイドがいかに効果的に症状を防ぐかにはじまり、アトピーのはなしにうつりました。
「アトピーは、実際、医師の指示すら守れば、かんたんに症状がおさえられるのに薬をうすくぬりすぎたり、医師の許可なくかってにやめたりするから、重症化します」と、ここで彼のスライドは、患者さんの写真にかわりました。
「これ、ひどかったんですよ。でも、ぼくのところに入院して、一週間。きれいでしょ。これ、最強のステロイドつかいました。で、退院してここでやめちゃだめなんです。まだ、ぼくがいいと言うまでは、ステロイドぬってもらわないと。しかし…」とここで彼は、うっすら笑います。
「この子、知的障害があるんですよ。薬の指示がわかってるのか、ちょっと不安。おかあさんも、やっぱり…おくれている。まっ、あれ、知的障害でしょうね。清潔感とかどうなのかと…。おふろいれるのが、やっとじゃないでしょうか。でたときに、ちゃんと拭けているのかこころもとないです。これでは、アトピーはなおりません。たぶん、薬の塗り方だって、めちゃくちゃですよ。こういう人がね、アトピーを難治化させてるわけです」
「それから、やたらステロイド嫌う人。そんなことして、とびひになったり、ほかの合併症おこして生命の危機におちいる人もいるんです。みんながかかる病気だからといって、かるく考えてはいけません。医師のもとで、きちんと治療しないと…」
まわりの人が、大きくうなずいていました。

(納得しないでよ〜)と心が悲鳴をあげます。
立ち上がって、彼を罵倒したかったです。でも、ここで彼と争っても、私は「狂信的なステロイド忌避患者」とレッテルを貼られ、「ほら、あんな人が、難治化させてるんです」とネタにされるだけ…。すくっと立って、彼と一瞬目をあわせ、きびすをかえすのが、私の精一杯の示威行為でした。

さて、彼の問題はなんでしょう。ステロイドの副作用をめぐる態度はさておいたとしても、問題は二つあるとおもいます。
一つは障害者搾取、もう一つはアトピー患者差別です。
【障害者搾取】
患者さんが知的な障害をもっているとしたら、理解可能な言葉ではなしかけ、説明する。それが、「インフォームドコンセント」ではないのでしょうか? 患者さんに薬の使用方法の指示がとおらないというのは、わかりにくい指示をだしている医師の責任だとおもいます。
しかも、彼は「知的障害だから難治」とばかにするその患者さんの写真を使って自説を披露しているわけです。まさに、搾取的な態度ではないでしょうか。
私のしる知的障害をもつ方たちは、たいてい小さくなって生きています。そんなことはないのに、「ばかですから」とひかえめで、ちょっとしたことに感激してくれる…。そんな人たちの善意にのっかって、写真を提供させ、公衆の面前で罵倒する。
あんまりだとおもいます。

【アトピー患者差別】
もうひとつは、アトピーの患者いっぱんを「薬の適量を説明しても、まもらない」「ステロイドをむやみにこわがる」「医師の指示をまもらない」と罵倒するその態度に問題があるのではないでしょうか?
あーちゃんは、「ほんと、皮膚科医っておこるよね。このまえうつの友人が『お医者さんって大好き、やさしく話をきいてくれて』って言ってて、ひっくりかえっちゃったよ。私なんて、小さい時から、「薬の塗り方がわるい」「生活態度がわるい」とか怒られまくりだよ」といっていました。
わたしもまた、この5年間、小児科はともかく皮膚科医には、ほんとうに叱られました。ダンくんがつれていけば、「おかーさんは、どうしたの! 無責任な」としかられ(典型的な「性別役割分業観」ですね)、わたしがつれていけば「なおらないのは、おかあさん、あなたのせい」と叱られ、「仕事やめたら?」と言われたこともあります。たしかに、これはさすがに、はらもたったし、二度と行きませんでした。しかし、その他の叱責、「薬の塗り方がわるい」「ごはんをちゃんと、つくっていないせいだ」「おかあさんが忙しくて、ストレスなんじゃないの?」等々の言葉は、どこの皮膚科でも言われました。病院かわっても同じことを言われれば、「そうかも…」と自分を責め、だからこそ、「先生、ごめんなさい。先生のいうこと、ちゃんと聞きます。だから、ふっくん、なんとかしてください」ってすがる心境でした。
これって…。DVや虐待などの、暴力のサイクルににていますよね。人間は、たびかさなる叱責・罵倒・暴力などに対しては、徐々に無力感や自責感をつよめます。そのうち、ほんとに自分が悪いとしか思えてこなくなります。そうなると思考能力は低下します。そして、「怒る側」に依存することになります。さらに、たよるものがほかにないとすれば、なおさらです。
たとえば、小児科医の先生は、怒らないし、「たいへんだね」ともいってくれましたが、あのおー先生以外は、みんな「なんで、なおってこないのかな。ステロイドがよわいのかな。皮膚科にいってよ。ぼく、専門じゃないから…」と私たちをつきはなしました。
私が、ふっくんにステロイドをぬりつづけた、ほんとうの原因は、もしかしたらここにあるのかもしれません。

雨宮処凛も、その著書『アトピーの女王』(光文社、2009年)のなかで、さまざまな医師に罵倒されつづけたことを書いています。そして、ある日いつも彼女にどなりまくる医者が、やけどで診察に訪れた患者に別人かとおもうほどやさしく接していることを目撃し、こう書きます。
「火傷は治る。自分の治療がちゃんと実を結ぶ。だけど、アトピーはダラダラと良くなったり悪くなったりを繰り返す。医者にとっては不毛の治療なのかもしれない。(中略)ある医者は「知識過剰でステロイドを怖がるからアトピー患者は面倒でキライ」といっていた。皮膚科医の中にアトピー嫌いは多いらしい。だったらお前医者やめろよ、といってあげたい」(p.108)
私には、彼女の見解は妥当に思えます。
今日のお医者さんも、きっとアトピーがきらいなんでしょうね。
だからこそ、むきなって、患者のせいにする。


でも、これ、ほんとうは、彼個人の責任ではないと一方で、おもいます。
「医学に権威を感じる」「医学を万能だとおもう」「医者というだけで尊敬してしまう」こうした態度は、日常社会にあふれています。
私たちは、医学が進歩するほど、医学にたより、権威をかんじ、そして治りたい、病気になりたくないと思います。
そして、「病気にかからないように」とびくびくしながら、生きていきます。「予防医学」が声高にさけばれます。
「予防医学」がすすむほど、病気になった人は「自己責任」としてせめられます。その一方で、病気になった人は、医師に完全な医療を求め、「治せない」となると失望します。
こんな社会に生きる医師としては、なおらない病気につきあうのは、自己の有能感もうすれ、ストレスも大きくなるのでしょう。
医学は万能というある意味「高慢」な気持ちを医師がすてることができるなら、医学は私たちを病から解放してくれるはずだという「幻想」を患者がすてることができるなら、アトピー患者と医師の関係は、もっとよくなるのかもしれません。

唐突ですが、こうした問題を考えるにあたり以下の書籍が参考になります。
上杉正幸『健康病ー健康社会はわれわれを不幸にする』洋泉社、2002年


<きょうのふっくん>
今日は、ふっくんは、おとうさんの出張についていきました。2日間かえってきません。
あらいざらしのガーゼと包帯をたくさん、ついでにアイスノンをもたせたけど、どうなっているかしら。
でも、新幹線のる〜。かえりは飛行機〜と、るんるんして、でていったから、きっと大丈夫。

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