2010年11月16日火曜日

「中立」という立場

2010年11月16日(火)
<朝日新聞の記事の論調、最後までかわらず…>
さて…、朝日新聞の記事については、何人かが「私も意見をだそうかな」とメールをくださり、とても心強かったです。
深谷先生のブログは、アレルギー友の会に会計報告にまで言及されており、圧倒されました。
佐藤先生も意見として、はげしい口調で抗議していらっしゃいます。
が…6回目の記事は、これまで以上に私を落胆させるものでした。
鈴木彩子記者…「これは、あなた個人の意志ではありませんよね」と声をかけたいぐらいでした。

また、「でも…私は脱ステしたけれど、ステ使用者の気持ちもわかるし、意見は書きたいけどどう書くか悩みます」と書いてくださった方もいます。アトピー治療の現場、それだけ、混迷しているってことですよね。
だからこそ、いろんなところで話題にしたい。すこしでもこの混迷をクリアにしたい。

というわけで…ほかのメディアでせめようじゃないか。それも、まずはてっとりばやく雑誌の「読者の声」的欄に投稿しようと。2000字弱の投稿文をかきました。

<雑誌編集者の反応は!?>
すぐにかえしてくれました。
要約すれば…
①投稿があった以上、無視はしません。掲載する方向で検討する
②しかし、ある療法の善し悪しを判断するのは、今回のように主張がわかれている場合、むずかしい。
③弊社としては、どちらかに誘導することはさけたい
④科学的根拠をしめしたうえで、読者に判断してもらいたい
とのことでした。

ようするに「弊社は中立を保ちますので、好きに主張してください」という意味ですよね。

この立場は、一見「公平」そうです。が、ほんとうに公平でしょうか。
たとえば…今回のアトピー治療について、この編集者の主張にそってかんがえてみます。
①アトピー治療の主流の説とはちがうようだか、のせてもいい
②しかし、アトピー治療において「脱ステロイド」を選択する、「ステロイドの依存性」を指摘するという立場は、主流の意見とは異なり、判断がむずかしい。
③よって、どちらにも肩入れはしない。
④だから、読者に判断してもらう

です。むろん、編集者が主張するように④科学的根拠を編集サイドを示すよう尽力してくださるのであれば、この主張はまっとうかもしれません。
しかし、通常、「読者の声」の投稿に対して、読者が科学的根拠を問いなおせるような場はもたれません。
ちなみに「だったら、雑誌社のほうで、アトピー治療に対するステロイド使用擁護派の医師と、ステロイド使用危惧派の医師、双方の意見をきく特集をくんでくださいますか?」とたずねてみました。むろん、おもだった脱ステ医の情報もそえました。
すると、「それは、難しい」と。
ちなみに、この雑誌では、これまでさんざん朝日新聞的記事(つまり、皮膚科学会の重鎮などが記事を書いてきています)は掲載されてきているわけです。
おそらくそれに反する意見は、私の投稿がはじめてです。読者はそれだけで、判断する必要があります。
とりあえず、投稿にあるまじく文献などもお示ししましたが、読者の声の投稿に対して、わざわざ文献にまであたって判断しようとおもう人は、すくないとおもいます。
そもそも、文章を書いているのは、かたや「皮膚科学会の権威」、かたや「いちおかあさん」です。

つまり…この編集者は、「場所は提供するから、かってに主張しろ、責任はもたない」と宣言しているに等しいのではないでしょうか…。
いや、もちろん、掲載しないと言っているわけではないので、十二分にありがたいのです。
この編集さんを個人的に責めるつもりは、もうとうありません。

私が問いたいのは、この編集さんが考えているほど、編集さんがとっている立場は、「中立」ではないのではないかということです。
なぜなら、アトピー治療の現場において、現在、圧倒的な力をもっているのはステロイド使用擁護派の医師だからです。

<「中立」とはなにを意味するか?>
深谷先生が、治療現場をさらなければならなかったほどに、その深谷先生が「脱ステ」に関してブログで再登場したときに佐藤先生が自らのブログで喜びを表明されたように、ステロイド使用危惧派医師は、その権力関係において圧倒的に不利な立場にいます。
いわば、おとなとこどものシーソーです。60キロのおとなが、「どん!」とシーソーにすわったら、20キロのこどもは、ふっとびます。20キロのこどもがどんなにあがいても、シーソーは平行になりません。だれかが、「ぼく、応援してあげるよ」と真ん中の支柱にたっても、この関係はかわらないのです。ほんとうに、力を均衡にしようとおもうならば、相当こどもよりに立つ必要があります。
その現実に、編集さんは気づいていません。

じつは、この考え方は私のオリジナルではありません。
信田さよ子というカウンセラーがいます。DVや虐待、アルコール依存症、摂食障害…などいろんな方面で著書を出しています。
さて、その信田さんが「中立はない」という章を書いています(『DVと虐待ー「家族の暴力」に援助者ができること』医学書院、2002年、pp.158-165)。
援助職としての「心得」として、「中立」「客観的」をたたきこまれてきた彼女は、ある日、虐待をうけてきたクライエントの話をききながら「親にも親の立場があるから…」「もう、いいかげん、許してあげたら…」と言っている自分に気づいて愕然としたそうです。
つまり、ある被害のうったえを「中立」にきくということは、双方の言い分をきこうとする、つまり「加害の側」の言い分を、代弁することになると気づいたそうです。
彼女は、それ以来「弱い側の見方になること」をモットーに、カウンセリングの方法を転換します。


<守秘義務をまもって、得をするのは誰か>
彼女は、この章につづけて「プライバシーは被害者を守らない」(pp.166-176)とも書いています。
DV、児童虐待、セクハラ…「被害者のプライバシーをまもる」としてその事件に口をとざしてしまうと、社会にはそうした事件がおこっていることが認知できない。つまり、そうした事件にあった人がいても「そんなこと、めったにない」「かんちがいじゃない?」と「なかったことにされてしまう」としています。だから、個人をださずとも、事件については「とにかく、語れ」と、彼女は主張します。

「ステロイドをやめた」という人の話を客観的にきこうとすること、「ステロイドをやめた人(患者)がいること」を話題にしないことは、結果的に、ステロイド使用擁護派医師に荷担することになるのかもしれません。


<きくこと・かたること>
もし…アトピーとは関係のないところで、このブログを読んで下さる方がいるとすれば、ぜひ、おねがいします。
身近に「アトピー」を語る方がいたら、ぜひ、きいてください。
その治療方法に関心をしめしてください。
そして「ステロイド」について話題にしてください。
ほかの知らない人に、アトピーの話をしてください。

それがたとえ、「ステロイドをきらう、ばかな親がいる」といった口調でもかまいません。
ばかかどうかといった判断は、のちに変化しえます。
とりあえず、いまは「ステロイドに不信感をもち、やめる人がいる」ということを、すこしでもおおくの人に知ってもらい、話題にしてもらいたいです。そうすれば、すこしずつではあっても、治療現場は動くとおもうのです。

脱ステを選択したみなさん、とくにわたしのような「親」の立場ではなく、「当事者」の場合、語るのはつらいとおもいます。無理はせず、でも、かたりたくなったら、語ってみてください。
「語る」という行為は、「聞く」人がいなければ、むなしいです。
私もまた、きかれてもいないにの「アトピーの息子、ステロイドやめたんだ」と話し始めるのは、気力が必要です。
無関心なのに、「脱ステのいきさつ」を話すのは、苦痛です。
でも、わらってその深刻さをごまかしながら、話していきたいな〜と。
「少数派影響源」原則は、ただしいとおもっていますから(笑)。
でも、つかれたらやめます! また元気になったらはじめてもいいですよね(笑)。


<きょうのふっくん>
「今日は、写真をとるぞ!」とはりきっているのに、わすれてねてしまいました…。
保湿剤も、彼も私もわすれてました…。ひじや手のがさがさには、ぬるといいとはおもうのですが…。
皮膚の状態は、あまりかわりありません。
でも…ローラー針に、はがれたかさぶたがいっぱいくっついて、「もう!」と怒っていました。
う〜ん…左足のすね、ひさびさに9月からの写真をみてみましたが、いまが一番ひどいかも!?
また、明日は、写真とります。

そうそう!! 夕食時、この雑誌社の対応について、ついついひっくん・ふっくんにぐちってしまいました…。
ひっくんは、ふんふんと適当にききながしているようでいて、「おかーさん、それ、結局、シーソーの話でしょ。真ん中立っても、意味ないっていう」と。
「あっ、そうです…」
というわけで、今日のシーソーの比喩のオリジナルは、ひっくんです。

しっ、しかしこのあと、全部はなしおえると……
「そりゃ、かるいほうにつくのが、ふつうでしょ。たとえ、まけても」とひっくん。
「うそ〜!」といったのは、ふっくん。「ぼくは、おもいほうだな。まけるのやだもん。それにさー、重い方にいても、そこで地面けってたら、シーソーうごくじゃん」と。

うわ〜〜〜、性格でてるわ〜と笑えました。
みっくんが会話にくわわれるようになったら、なんて言うのかしら。

おやすみなさい。

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