2010年11月30日火曜日

「標準治療」の問題は、ステロイド使用だけ?

2010年11月30日(火)
<「標準治療」で「そこそこ」をめざしていたのに…>
さて、昨日、私は「そこそこ」をみつけられるといいと書きました。「完治めざして、ふりまわされるのはやめましょう」と。しかし…
ノブコフさんに、コメントをいただいて、あらためて思いました。「標準治療」の存在は、けっこう罪だと…。
ノブコフさんが20数年「標準治療をしてきたのに!」と書いていらっしゃるように、私もこれまで、「アトピーにこんなのいいよ」とさまざまな知人に言われても、「ちゃんと医者かよってるから、大丈夫」と、ふっくんに「標準治療」しかしていませんでした!!
それでも、よくならなかった…どころか、ひどくなった…(と主観的には思っています)。
あーちゃんも「たしかな治療を!」と大学病院をはしごして、「標準治療」に邁進して、「ひどくなった!」と脱ステを選択しています。こうめさんもまた、「標準治療」をうけつづけて最終的に脱ステを選択…。


<アトピービジネスにはしる原因は、アンチ「標準治療」なのか?>
むろん、ノブコフさんと、あーちゃんと、こうめさんと、ふっくんが、標準治療でたちゆかない、正規分布のはしっこのグループだった可能性もあります。しかし、あらためて…
「標準治療」どうなんですか?と、問いたいです…。
「標準治療」にまじめにかよう人たちは、おおくの人が、「ちょっとでもこのつらさをしのげれば…」と思っていらっしゃるでしょう。なのに、なのに、悪化です。
竹原和彦先生は、『アトピービジネス』のなかで、「脱ステ患者=アトピービジネスのえじき」のごとく書いていらっしゃいますが……ぜひぜひ、こうした「標準治療」をまじめにうけていたにもかかわらず悪化した人の追跡調査をしていただきたかったです。アトピービジネスにはまるのは、「標準治療」に背をむけた「ばかな/非科学的な」人ではなく、「標準治療」をまじめにうけつづけていたにもかかわらず、「そこそこ」でとどまれず、悪化したからこそ逃げ出した人たちだとおもいます。それを「もともとのアトピーが悪化した」と片づけるのは、医者としてどうなのか…。



<医者の権威>
もちろん、医者の倫理に訴えるのは、戦略としてどうかとは思いますが…。でも、でも、「医者」の権威は強いことを、お医者さんたちはほんとうに知っているのでしょうか。

まえにaccelerationさんが、「『医者の世間知』って具体的になんですか?」ときいてくださって…そのときに「近所のおばさんでも、いいそうなことを言える」と書きました。しかし、実際には、近所のおばさんに「だいじょうぶよ~」と笑ってもらうのと、医者に「だいじょうぶよ~」と笑ってもらうのとでは、受け手の印象はかなりことなります。

たとえば…ふっくんは、最近、いっしょうけんめい肉を食べています。彼は肉がきらいです。牛乳も好きではありません。が、「先生になんでもたべなさいっていわれたもんね」「たんぱく質とると、皮膚も丈夫になるし、背ものびるんだって」と、一生懸命食べています。毎日、牛乳のかわりにヨーグルトとチーズもたべはじめました。「牛乳はのこさずにのもう」「おやつたべるなら、チーズにしたら?」「お肉はのこさない。食べると大きくなれるよ」そんなことを、親がいつも言ってもききません。でも、おなじことをお医者さんが1回言えば、「そうか~」と6才のこどもでも納得するのです。
白衣をきて診察室にすわっている。ただそれだけで、これだけの威力を発することを、「標準治療」だけを宣伝するお医者さんたちは、考えてくださっているのでしょうか…。

<ステロイドの使用方法は、徹底可能か>
いつも、アトピーをかんがえていると、考えはここにまいもどってしまいます。
「標準治療」、やはり問題かかえすぎですと。
それは、皮膚科医がいうように、「塗りからをきちんと指導できない医師がいるからだ」で片づけられる問題なのでしょうか。
厚労省の統計では、2004年度、日本の医師数は約26万人、そのうち皮膚科医は7780人、小児科医14677人、つまり、アトピーのこどもにステロイドを処方する可能性のある医師は、2万人強、いるわけです。2万人の意志統一って、ほんとうにできるんでしょうか?
20人なら、ステロイドの使い方をきっりち指導できるかもしれません…。でも、2万人…アトピーの患者さんは、個人差も悪化要因も、まちまちなのにです。
さらに言えば、いつかご紹介したアレルギーの大家であらせられるという医師、スライドをつかってステロイド軟膏の使い方をきっちりレクチャーされていましたが、ご自分の患者にすら「この患者さん、ステロイドつかいこなせるんでしょうか? 知的障害ありそうですから」などとおっしゃっているわけです。つまり…。「きっちり指導された/する立場にある」医師ですら、患者の薬の使い方を制御するのは不可能だと自ら告白しているわけです。
なのに、「ステロイドはきっちり使えばこわくない」なんて、どうして宣言できるのか…。

<自分のことを、自分できめる>
もうひとつ…医師が、患者を「自分のいうことをきくべき存在」とみなす態度は、どうなんでしょうか?
いま、ふっくん楽しそうです。毎日私に「かゆい!」とおこり、その私に「じっとしててよ!」と叱られながら、ステロイドをぬられる「アトピー客体」だったふっくんが、ステロイドをやめてから「う~ん、今日はどうしようかな~。ここはきれて痛いから、保湿しようかな。ここは、じくじくだから、マキロンにして、あとは、ぬらない」など、自分で肌の状態をたしかめつつ、自分できめようとしています。その結果がわるければ、ときには私にやつあたりもしますが、「こんどは、あーちゃんおすすめのにがり入り塩ためそうかな~」など、試行錯誤をしています。まさに、「アトピー主体」として自分の皮膚にかかわっています。たしかに、すごく回り道のような気がします。でも、彼がアトピー体質である以上、重要なステップのような気がするのです。
かりに、ステロイドがふっくんに有効であったにしろ、薬に依存的であったこれまでより、ずっと望ましい態度だとおもいます。このさき、ふっくんの肌状態がどうなるにしろ、私はやはり「ステロイドやめてよかった」という気持ちはかわらないと思います。


<患者の「試行錯誤」につきあう>
お医者さんは、もしかしたら、救世主/万能願望をもっていらっしゃる方がおおいのかもしれません。「先生、かゆいです」「ほら、これでなおりますよ」と断言して、患者をてばやく苦境からすくいたい、自分の意見をきけば楽になれると示したい…。でも、そうしたら、患者はいつまでたっても、医師にたよりきり…。
そいいった意味で、しーな先生は、理想的なメッセージをくださったと思います。かたくなに「佐藤健二先生療法」にこだわる私に、
「でも、ちょっとくらいなら保湿もためしてみたらどうですか? 抵抗あるなら、実験のつもりで塗る場所と塗らない場所をつくったり、なにをぬるか、配合をどうするか考えてみたり。この程度のアトピーなら、まだ大丈夫。アトピーは、季節によっても、個々の患者さんによっても、かなり違います。じっくり、なにをすると調子がいいのか、この程度のときにえらんでいくのがいいとおもいますよ」とおっしゃり、ふっくんにも「実験してみたら? もし、すごくひどくなっちゃったら、先生、ちゃんとそのときはみるからね」と言ってくださいました。
患者の疾病に気長につきあいつつも、専門家としていざというときのためにひかえていてくれる…。
理想的な態度だとおもいます。さらに、これはアフターケアに自信がないとでてこない台詞だとも思います。勉強している医師だからこそ、フォロー方法にもストックがあり、患者の試行錯誤につきあえる。しかし、地位や予算の獲得に熱心な医師は勉強するひまがない。だからこそステロイドをつかった「標準治療」で統一することに熱心なのかもしれません。マニュアルの存在は勉強不足をかくせますし、なにかあったときに「マニュアルに従っただけだ!」と責任転嫁もできます。
ちょっと厳しすぎるでしょうか…でも、「標準治療」をおしすすめようとする医師たちの存在は、ジョージ・リッツア『マクドナルド化する社会』(早稲田大学出版部、1999年)を思わせます。

<「マクドナルド化」する医療現場?>
リッツアさんは、マクドナルドの特徴を4つあげています。「効率性」「計算可能性」「予測可能性」「制御」です。
以下、彼の主張をまとめてみます。

【効率性】「マクドナルド化した社会では、人びとが自分の目的を達成するために、最適の手段を追求することはめったにない。むしろ、人びとは、さまざまな社会状況においてすでに発見され制度化された最適手段を利用する」(p.71f.)
*欠点は、非合理性をうむこと
【計算可能性】
「ものごとを数えられること、計算できること、定量化できることが重視される」「過程について重視されるのは(通常高速の)スピードであるが、結果については、生産され客に提供される(通常大量の)商品の数が重視される」(p.106)
*欠点は、量の重要視が、質の低下をうみやすいこと
【予測可能性】
「合理化された社会は規律、秩序、システム化、形式化、ルーティン化、一貫性、組織的な操作といったものを重視する。そうした社会では、人びとはほとんどの場面や時間において何が期待できるかを知りたがる」(p.134)
*欠点は、個々人の知識や知恵が反映されにくいこと。
【制御】
「人間を管理するため、長い年月をかけて技術体系が開発され普及されてきた」(p.165)
*欠点は、個々人の判断より、機械の判断が優先される。

リッツアさんはこのマクドナルド化の図式にそって、医療の現状も考察しています。彼によれば、合理化の結果、「医師はそれぞれのケースに対する自分の医療判断に依拠するかわりに、規則や規定、上司の決定または技術上の指示に従って決定を行う傾向をしだいに強めて」(p.222)おり、患者の側は、「自分が医療の作業ラインに乗せられている商品のように」(p.222)感じさせられるといいます。

知人のひとりが、「こどもを皮膚科につれていったら、3分どころか、15秒診療だったよ。一瞥して、「アトピーか」って一言。あとは、看護師さんに「ステロイドの塗り方説明しながら、ぬってあげて」と声をかけ、パソコンにむかった処方箋書いておわり。私たちをちゃんと人としてみているのかしら!もう、医者かわりたい。でも、どの先生なら、ちゃんとこどもとむきあったくれるのか、わからないよ」と怒っていました。

まさに、リッツアさんの指摘どおりのことがおこっています。そして、この皮膚科医のとっている態度は、まさに「標準治療」にのっとったものです。
「標準治療」は、診療時間が短縮できます。どのくらいの薬剤が処方できて、どのくらいの収益があるか計算も可能になります。ここの患者さんでおもいなやまなくてもルーティンとして診療できます。「標準治療」にそっているから「ただしい」
なおらないのは、指示をまもらないあなたのせい」と患者さんを制御することもできます…。

いや、もちろん「標準治療」を推進される先生方が、「15秒診療」のお医者さんをふやそうとしているわけではないとおもいます。しかし、「標準治療」をうちだすこと自体が、こうした診療を可能にしていることもまた事実です。

そういう意味において、たしかにaccelerationさんがおっしゃるように、皮膚科のステロイドと精神科の向精神薬はにているかもしれません。向精神薬の投与もまた、「診療の合理化」を推進します。
「べてるの家」に登場する浦河赤十字病院のお医者さんたちは、患者さんにぶんぶんふりまわされながら、つきあっています。
それを「応援している」と表現しています(浮ヶ谷幸代『ケアと共同性の人類学ー北海道浦河赤十字病院精神科から地域へ』生活書院、2009年参照)。患者さんを「応援する」。「応援する」ピアを看護師が、応援する。「応援する」看護師を医師が「応援する」。「応援する」医師を、患者さんが「応援する」…。ぐるぐるまわる、ややこやしい、でも個人的な関係がはりめぐらされ、そのなかですったもんだしながら、生きています。今の社会から逆行しています。
しーな先生も、診療時間、2回にわけて20分。電話で30分…。「合理的」とはとうていいえません。でも、もしかしなくても、3年以上かよった「つかちに先生」より、たくさんしゃべっているように思います。
すくなくとも、つかちに先生は、ふっくんの食べ物の好き嫌いをしりませんが、しーな先生はしっています。
「標準治療」の推進は、ステロイドをつかうつかわない以外にも、いろんな問題をふくんでいるようにおもいます。

<脱線〜キューバのカフェ>
そういえば…キューバで、あるカフェに3日つづけていきました。
1日にめに「イタリアンサンド」をたのんで、すごくおいしかったんです。トマトとモッツァレラチーズにスライスした黒いオリーブがたっくさんのっかっていました。つけあわせは、山盛りのフライドポテト…。どうしても食べたくて、2日めにいって同じものをたのむと、チーズがエレメンタールっぽいものにかわっていました。オリーブはサンドウィッチのなかにはなく、つけあわせのレタスとそのうえにのっかたポテトサラダのまわりに、まるごと、ごろんごろんと、ころがっていました。3日目…こんどは、パンの種類がかわっていて、なかみも…とにかく、3日間とも同じだったのは、スライスされたトマトがはさんであるという一点のみ。
衝撃的でした。お店の人にきくと、「だって、つくる人がちがったり、材料の在庫がちがったりするでしょ。そんな同じもの、でないよ」と…。なんだか、きけばあたりまえ…。たしかに私がつくる料理も「おかーさん、同じもの2回でてきたことあるの?」とこどもたちにきかれるくらい、その日の冷蔵庫事情と私の気分に左右されてます…。
でも、お店では「同じもの」を要求する…。すっかり、マクドナルド化されてました…(笑)。


<きのうのふっくん>
クラスに5本指ソックスをはいている子がいて、ふっくん、あこがれています(笑)。
きのう、その5本指ソックスと絹のパジャマがとどきました。パジャマは大満足していました。ひっくんが「いいな~。でも、あれ高いんでしょ」というので、「あ~、言ってなかったっけ。一部不良で1000円ってのがあって、それ買ってみたんだよ。でもね~、あの5本指シルクソックスも、こども用がなかなかなくて、1000円だけど」「うわ~。しんじられん。ぼく、パジャマだけ買って」ともうしておりました(倹約家です(笑))。
ふっくんは、そんなことには無頓着。5本指ソックスも、「これ、指が1本ずつ離れてるし、しもやけにならなそう!」と大満足でした。
だから…写真も、「1000円のパジャマきてとる!」と…(笑)。
ポーズをきめるのに、日に日に時間がかかっています!(笑)

今日も、元気でした。今日は「流血した3カ所にマキロン」「かさかさの指に亜鉛華軟膏すくなめの保湿剤」「その他はなし」と自分できめてぬっていました。肌の状態自体は、きのとあまりかわりません…。

11 件のコメント:

  1. 今診ている摂食障害の人は、以前通院していたところでは「1分診療」だったと言ってました。何かを訴えると薬を変える、ということの繰り返し。基本的な病気の説明もなし。処方はスタンダードなのですが、薬だけで回復する摂食障害の人には出会ったことがありません。この医者は少なくとも薬物療法については標準的ですが、非薬物療法も含めた標準治療をしていた訳ではありません。
    …標準治療よりマクドナルド化の方が根底的かもしれませんね。標準治療はマクドナルド化に権威のお墨付きを与える役割。
    マクドナルドの方が「スマイル」があるだけましかもです(笑)。

    また別の話ですが、昨日あったこと。
    からだ中がかゆい、と訴えて掻いてしまう認知症の男性。かゆいところを含めてからだを見ると乾燥はあるけど発疹はなし。一番考えられるのは暖房による乾燥が影響した老人性乾皮症、と思いました。ありがちな話。
    ところが「かゆい」と訴えるので数日前に家の人が近くの皮膚科に連れて行って軟膏が出た、という話。見せてもらうと、strongのステロイド)。かゆいのですでに1本半使ってしまった、というのでびっくり。
    保湿剤を処方して加湿について説明しました。
    これも標準治療より深い「病理」を感じます。
    ステロイド処方に依存する皮膚科医、向精神薬処方に依存する精神科医…。

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  2. …ちなみに、浮ヶ谷さんのご本は読んでません。内容以前に、もうべてる本はいいだろう、と思っているからです。社会学系研究者のべてる依存には辟易気味。精神医療関係で他に取材すべきものはあるはずなんですが。研究のマクドナルド化…は言い過ぎですけど。

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  3. コメント、ありがとうございます。
    たしかに、医療のマクドナルド化を「標準治療」があとおししているといったほうが適切ですね。ご指摘、ありがとうございます!

    「摂食障害で1分診療…」ちょっとため息ものです。そうえば…むかし、うつで精神科にかよっていた頃、私の顔すらみず、話もさえぎり「あいかわらず、眠れないの?じゃー薬かえとくから。また、2週間後ね~」とか。まさに1分診療…。診察室で「あなた、患者の顔をみて、話をきく気はないんですか!」と医者の机をたたいて大声でどなった若い日を思い出しました(爆)。なんだか私、そこらじゅうの医者にケンカをうって歩いているような気も…(汗)。
    「老人性皮膚乾燥症」にステロイド…。うちの父も処方されています。深谷先生が紹介されている老人性乾皮症型にそっくりな背中になっています。http://www18.ocn.ne.jp/~steroids/ 「からだじゅうが赤くなってきた…」と母が心配していましたが、ステロイド依存の可能性があるとは言えませんでした。うちの父は、医学的権威に従順です。そんなことを指摘したら激怒するにきまっています。「調子いいときは、保湿だけにしておいても大丈夫だとおもうよ」と言っただけで「医者は、指示がない以上、やめちゃいかんといっとったぞ!」と怒るぐらいですから…。
    それに…もう90に近い父に、いまさら「脱ステ」のつらさを経験してもわなくても…とも。ふっくんですら夜中に絶叫するくらいです。もう10年以上ステロイドを愛用している父は、それどころではないと…。だから実家では、「こどもには、ステロイドは有害」と強調しています…(笑)。
    でも、ほんと、「かゆいと言えば、ステロイド」、やめてほしいです…。

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  4. べてるの家については…。わたしもこれまでくださったコメントからしても、どうもaccelerationさんは、べてるはあまりお好きじゃないかもと思っていました(笑)。
    「ソテリアはどうちがいますか?」とおたずねしようとも思いましたが、コメント欄で簡単にお返事していただける内容でもないだろうしと…。
    そうそう、この浮ヶ谷さんも、「べてるの家のフィールドワークに」と申し出たときに、指導教員から「きみもべてるの太鼓持ちになるのか」とたずねられたと書いていらっしゃいました。医療業界では、べてるにうんざりという方もおおくいらっしゃるのでしょうね…。
    でも…ちょっと仕方がない気もします。べてるの家は、医療界のパラダイムをかえた先駆的な存在です。注目されるとおもいますよ。

    伏見憲明さんが『ゲイという経験』(ポット出版、2004年)のなかで、こんなエピソードを紹介していました。彼が、部落解放運動の集会にまねかれて「狭山事件」についてたずねられ、「しらない」とこたえると絶句される。そこで、ゲイリブの仲間が「では、ゲイ初の裁判闘争である府中青年の家事件をしっていますか」と問い、今度は部落解放の関係者たちが絶句します(このあとの文章がすごくいいので、引用したいところですが、コメント欄はそんなにながく、かけませんね…)。
    要約すれば、伏見さんは、「被差別者運動を志すものは、基本的に人は他人のことには無関心であるという現実から出発すべきた」と結論づけています。この被差別者運動を「問題関心の追求」にいれかえても、十分通用すると思います。
    問題関心をどこによせるかは、人それぞれです。私も、自分の仕事関係や息子関係でつぎつぎと関心もつ事象がでてきます。それを調べて考えて書く…。これで精一杯です。そのうえで、関連分野についてしろうとしたら、得やすい情報から参考にする以外にありません。
    だから…「こんなこともしらない」「こればっかり」となげいたら、ついでに「こんなのもあるよ」「ここがいいんだよ」と宣伝してくださるとずいぶん助かります…。
    と、ふと、やはり「狭山事件?」「府中の家事件?」「ゲイにかんする本買わないから、引用おしえて」という方もいらっしゃるのではと…気になってきました。次のコメントでかんたんに補足します(笑)。

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  5. ものすごく簡単にしてしまうと…

    【狭山事件】1963年におこった女子高生殺人事件。この犯人が、ちかくの「部落」にすむ石川さんだとされるが、警察は犯人だと断定。 結局、石川さんは「自白」してしまう。しかし、犯人特定の有力な証拠とされたものの一つに脅迫状があるが、当時石川さんは「読み書きができなかった」ことなどが、あとからわかり、えん罪事件である可能性がつよまった。
    石川さんは1994年に仮釈放されているが、再三の再申請求は、すべて却下されている。
    私は、鎌田慧『狭山事件の真実』(岩波書店、2010年)が、わかりやすかったです。あとネットでも、さまざまな検証がおこなわれています。


    【府中青年の家事件】
    東京都が、青少年の健全育成に害をあたえるからといって、府中青年の家の利用を拒否した事件。
    1990年「動くゲイとレズビアンの会」(通称:アカー)が学習合宿を青年の家で開催した。青年の家では、利用者同士の代表が自己紹介を行う慣例があり、アカーのメンバーもそれに従ったところ、さまざまないやがらせをうけ、以後、青年の家からも施設利用を拒否された。
    最終的に、アカーが勝訴。
    風間孝・川口和也『同性愛と異性愛』(岩波書店、2010年)でも、この事件については説明されています。

    【『ゲイという経験』からの引用】
    被差別者として反差別運動などに関わっていると、この世の中が自分自身が抱えている問題を中心に回っているような錯覚に陥りやすい。しかし実際には、人は、他人の問題などにはほとんど関心を持たずに暮らしている。たとえ、高邁な精神でこの世の不正義と向かい合おうとしても、自分の生活圏を越えて他者の状況を知るには限界がある。どんな差別問題オタクでも、アフリカの少数民族の中のマイノリティ差別の実態などそうは知らない。(p.27)

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  6. 精神科の問題もかなり深刻ですね。自分が救急車に乗っていた時、1日に2件程、精神疾患の患者からの救急要請がありました。ある意味一番辛い現場です。大量の薬が転がっている部屋をみて、いつも自分と重ね合わせていました…。この国はどうなっているんやろう。
    医療費が増え高齢者の自己負担が増えていく…。
    必要のない薬を処方しなけりゃそんなことしなくていいんやないか?
    街に溢れる麻薬より医者に処方された薬によって薬物漬けになる人の方がはるかに多いんじゃないか?

    同じ年くらいの男性の首吊り未遂現場に行きました。じぶんは統合失調症と診断されたといいました。救急車でじっくり話してみてもどう考えてもちょっと不安を抱えている真面目な青年です。

    見た目で判断する皮膚科は数字に現れるものが少ないから一人一人きっちり診ていたらきりがないんでしょう。だから標準治療という名の画一的な治療は医者にとって都合の良いものでしょう。

    見た目も何もない、ただ相手の話を聞くだけで診断する精神科はさらに難しい診断を迫られることでしょう。どうしても画一的にならざるを得ないのかな…

    僕の働いていた街には生活保護斡旋のブローカーがいました。ホームレスの方などに「こう話せばうつ病と診断してもらえる」と持ちかけ
    、それで生活保護を申請させる。あとは組織のマンションに住まわせ生活保護費をピンはねする。市民の税金はこうして消えていきます。僕が働いた数年間で路上生活者は劇的に減りました。

    生活保護の人達はそのお金で酒を飲み、たばこを吸い、ペットを飼い、しんどいと言って無料の救急車を呼び、病院で無料の治療を受ける。何不自由ない暮らしをする。年金暮らしのお父さんお母さんは足りないといっていつまでも働き続けないといけない、この国の社会保障は誰のためにあるのか…

    今日もまとまりのないコメントになりましたね(^o^;)愚痴やと思ってスルーしてください(>_<)

    話はかわりますが本日母が「身体にいいから」といって○○プルーンの説明会にいってきたみたいです。パンフレットを見せられたけどかなり高額です。仕事を辞めて家にいるだけでも申し訳ないのに金のかかることはしてほしくない。ただ「身体にいいから」と勧められて断ると治す気がないのかと思われそうで悩んでいます…。こういう話はほんと気が重くなりますね…( ̄▽ ̄;)

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  7. べてるそれ自体、というよりべてるについての語られ方についての批判はぴーふけさんが考えられるのとは違ったものだということだけ言っておきます。
    ここはよく誤解されるところなので。
    (この件には個人的な経緯があり、ここでお話しすることはできないのでここまでにします)

    ちなみにべてるとソテリアプロジェクトとはよくも悪くも別のものです。

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  8. すみません…おっしゃるようにスルーしようとおもったのですが…。

    まず…プルーンのほうは…「ほな、ふつーのプルーン、こうてきてや。栄養価、いっしょらしいで。それ、たべとくわ」と笑ってながすのは、いかがでしょう。ふっくんは、ヨーグルトにまぜてよく食べてます(笑)。
    ○○プル−ンは、プルーンがただペースト状になっていて、ほかにちょいちょい栄養価がまぜてあるだけですし…。
    いつかあーちゃんもいっていましたが、プラセボは、高額なほど効く気がしてしまうらしいです…。

    つぎに…「生活保護の人たちは…」とかかれていることが、気がかりでした。それ、ただしくは「生活保護斡旋ブローカーの人たちは」ですよね…。
    おおくの生活保護をうけている方々は、ほんとうにぎりぎりのところで生活していらっしゃいます。役所の職員は、受給者をへらすように市民からも上司からも圧力をかけられ、だしおしみをします。
    結局、そのつけは、社会的におおきな声で発言できない立場におかれている人にまわります。

    私、いつか生活保護をうけている知人がお金にこまっているときに、お金をかそうと申し出たことがあります。かえしてもらわなくてもいいつもりでした。
    するとその人は、いいました。「いらない。あなたからは、かりたくない」「どうして?電気とまるんでしょ? さむいし、こまるよ」「だって、それあなたにとって、なくても困らないお金でしょ? そんなことわかってたら、私は帰す気がなくなる。私は、私と同じようにお金に困っている友達にお金をかりる」とこたえられました。
    もうしわけなくて、消えてしまいたかったです。

    生活保護をうけている人は、いっしょうめんめい生きていても、スタートがそもそも不利なケースがおおいです。
    でも、そのことをなかなかわかってもらえません。

    これは、マスコミにもおおきな原因があるとおもいます。
    一部の不正受給者をとりあげて、あたかもそれがすべてであるように書き立てます。
    日本にも、貧困はあります。
    しかも、深刻です。

    貧困に関する本はたくさんでていますが…なにが読みやすいでしょうか…。

    ノブコフさんにとってそう遠くではないであろう地域の実践にこんな本があります。
    大阪府立西成高等学校『反貧困学習−格差の連鎖を断つために』(解放出版、2010 年)
    統計的に知るには、阿部彩『子どもの貧困ー日本の不公平を考える』(岩波書店、2008年)がいいかもしれません。「給食費を払わない」のではなく、「払えない」家庭がいかにおおいかが数字的にわかります。
    個々のケースでしたら、山野良一『子どもの最貧国・日本ー学力・心身・社会に及ぶ諸影響』(光文社、2008年)がくわしいです。
    むろん、大人やわかものに焦点をあてた貧困研究もたくさんあります。

    ごめんなさい。これ、それこそ、私のおおきな関心事項のひとつです。
    スルーできませんでした。

    これにこりず、またコメントください!(笑)。
    すてきな夜を!

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  9. こんばんは。わざわざ、ここにコメントしてくださるぐらいですから、accelerationさん、おもうところいっぱいおありなのでしょうね…。
    でも、お返事くださって、ありがとうございます。
    「語られ方のおもになにが」「どのように」など、おうかがいしてみたいことはたくさんありますが…こんなとき、コメント欄では、不自由ですね…。
    また、これに関して、よんでおくべき文献などありましたら、ぜひご紹介ください。
    おやすみなさい。

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  10. ごめんなさいちょっと書き方が極端すぎましたね(^o^;)
    本来生活保護を受けないといけない方達、生活の困窮している方達が生活保護をを受けられないことはほんまに問題です。

    ただ僕の働いていた市はブローカーによるものだけでなく、単純に生活保護制度を利用して、働かずして豪勢な生活をしているのが常態化している市でした。仕事柄そういう闇をびっくりするくらいみてきました。働くのがバカらしくなる…そんな世界でした。

    しかし生活困窮者で生きていくのも大変やのに制度を受けまいとぎりぎりまで追い込んで倒れる人もおる…この矛盾には心を痛めました。

    いい加減な人が法律を利用して楽をする。

    真面目な人が本来受けるべき補償を受けられず困窮する。

    いまの日本はそんな感じがします。公務員に身をおいてわかりましたが世間が思う以上に無駄だらけのお金の使い方をされています。無駄な事業に無駄金はいらない。本来守るべきものに目を向けて欲しいものです。


    プルーンのお話参考にさせていただきます(^_^)今もプルーン家にあるし美味しくいただいてるんですがどうも○○プルーンがいいと言われたのを勧めたいみたいで…。ただでさえ迷惑かけてるのに月1万くらいかかる代物なんて辛すぎます。がんばって説得します(^o^;)

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  11. ノブコフさん、こんばんは。
    お返事、ありがとうございます!
    仕事としてさまざまな現場をみられ、そのたびに心をいためたり、考え込まれたりされたことがうかがえる、すてきなコメントをありがとうございます。
    うれしいです。

    もっとも…その「いいかげんな」人たちも、おそらくその生育歴はハンディのおおい、困難なものだったようには思います。むろん、だからといって、「社会のせいだ、責任とれ!」「公的なお金はつかって当然」的な態度になるのは、どうかとはおもいますが…。
    むずかしいですね…。いためつけられた人ほど、いためつける人になりやすい。でも、いためつけられた人も、いい出会いがたくさんあれば、加害行為にはしるのをふせげる…。
    きっとノブコフさんも、そうした人たちの「いいであい」のひとりにはいっていらっしゃったとおもいます。
    また、同じところでないにしろ、「職場復帰」できる程度には、アトピーとおりあえますよう!

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