2010年11月14日日曜日

「薬害」ではなくても、「依存」はみとめてほしい

2010年11月14日(日)

<「脱ステ宣言」のつづき…>
昨日、書きおえてから、もっと思い出してきました。
【小学校の先生は…】
小学校の先生に「2ばんめの息子がアトピーですが、ステロイドやめたんです」と言ったときは…「うちの子も、ひとり、アトピーでしたよ。かみさんとよく、かゆがる娘を夜中にだっこしたな〜。あのとき、ステロイド、つかってたんだろうか。もう、わからないな〜」と言っていました。たぶん、その娘さんがこどもだったのは、もう20数年前。おそらくまだ薬の名前も明記していない、白いチューブの時代だったのでしょう。その後、「あれから、気になって家でききました。当時、ステロイドいろいろさわがれて、つかうのがこわくなって、近くの漢方の医者にかえたんだって。しらなかったの? わすれたの? って、家でちょっとかみさんに怒られちゃったよ」と笑ってました。すごく、クラス運営にもたけていてこどもに好かれる、おそらく子育ても、この年代の方にしては人並みはずれてやっていたとおもわれるその先生でも、これか〜っておもったのでした。
ほかに、知人のひとりは「わたしの友人もすごいアトピーひどくて、たいへんだったって。たしか、会社もやめて入院してたとか…。ステロイドがんがんつかってなおしてもらってたとおもうけど」と言っていました。が、後日、「ちがうんだって〜。なんか遠くの脱ステの病院いったんだって。もう15年くらい前の話らしい。そんな頃から、ステロイドやばいって話になってたんだね〜」とか…。みんな、しらない…。無関心…。
とはいうものの、このお二方は、私との「日常会話」のなかから、「みぢかな人のアトピー」について、「どうだったっけ?」と疑問をもってくださったという意味では、話してみてよかったのかもしれません。これからも、「KY」でも、いってみようかしら(笑)。

そもそも、そういう私が…。
【学生時代の友人への私の反応は…】
学生のとき(って、もう20年以上まえ!?)も、「ステロイドをやめた」友人が、2人いました。
ひとりは、「わたし、こんどから漢方にする。リバウンドがひどいかもっていわれてるから、顔とかひどなってもきにしんで」と言っていました。たしか、柿の葉茶のんで、くすりはつけないって言ってたような…。「へ〜、漢方ってアトピーにいいんだ」としか、記憶にないです。でも、たしかに、いっときは、かなりすごいことになっていましたが、あれ以来、彼女、「ふつう」です。
もう一人は、小さいときからアトピーがひどく、日にもあたってはいけない!といわれてきたそうで、だから、海にすごくあこがれていた男の子です。で彼は、留学先に海辺をえらびました。1年後にかえってきたら、それまでのように赤くひかっていない、色黒の「ふつう」の男の子になっていました…。彼によると、ある日、部屋のまどから眺めているだけでは、あきたらなくなり、海水パンツをかって海へ。その夜、すごくこわかったけど、なんともない。毎日海辺で、サンオイルをぬって、ねそべって日焼けしているうちに、すっかりきれいになったと。あまりかゆくないし、海外で医者にいくのもめんどうで、くすりもぬってないとそのとき、言っていました。そのときも、わたしは「へ〜、よかったね」ぐらい…。
無関心でした…。

いまおもえば、ふたりとも、ステロイド使用者だったとおもいます。顔が、ステロイド使用者特有のひかりをはなっていました。しかし、ある日、彼女は「漢方」に、彼ははからずも「紫外線療法」を自ら開発…。
でも、わたし、そのころ「ステロイド」という言葉さえ、しりませんでした。
自分が、ふっくんの状態がきになりだしたからって、「人の無関心をなげくな!」ってかんじですよね…。

それを思えば、「ステロイド」という言葉をおおくの人がしっているいまのほうが、すこしはましなのでしょうか…。
でも…せっかくならば、アルコールの「依存症」の危険、18才未満の飲酒禁止ぐらいに、ステロイドへの関心たかまらないでしょうか…そう思って…。


<ステロイド「薬害」の可能性をかんがえてみました>
【川崎ステロイド裁判の成果】
ステロイド裁判のゆくえをさがしましたが…「川崎ステロイド裁判」は、2008年に敗訴してしまっていたんですね…。
(おつかれさまでした。でも、敗訴はしたけれど「酒さ様皮膚炎はステロイドの関係」は、おおくの人が注目し、その後「この症状をステロイドの副作用」と診断する皮膚科医はふえたようです。(酒さ様皮膚炎で、検索すると、そうした記事がたくさんヒットします)それだけでも、おおきな意義があるとおもいます)

【『薬害の社会学』より】
そこで、宝月誠編『薬害の社会学ー薬と人間のアイロニー』(世界思想社、1986年)をよんでみました(ちょっと古いのですが…)
結論からいえば、ステロイドを「薬害」とみなすのは、むりなようです(って、そもそも、これでたすかっている人もたくさんいる以上、むりだろ〜とつっこみがはいるかもしれませんね…(爆)でも、とりあえず…かんがえてみたかったのです(笑))。
以下、まとめてみます。

《薬害として認定されやすいための条件》(p.233)
①薬害が不可逆的なものであること
②通常の病気の症状に対して特異性をもつこと
③薬害のもたらす症状の発現速度やその進行がはやいもの

この条件がそろったうえで、
☆「診断(病因論)の側面において現実に適合しない原則に執着」(p.239)する医師がいること
☆被害者の組織化(p.240)
が、重要とされています。

アトピー治療におけるステロイド使用の問題性について、すでに☆ふたつの条件はクリアーしているようにおもいます。
しかし…たとえば、①は、今回の朝日新聞の取材をうけた方をはじめ、自然回復力によって、その影響がきえていく人がおおいようです。
②についても、川崎ステロイド裁判では、「もとからのアトピーが悪化した、患者の固有性の問題」とされてしまったように、アトピーの発現のしかたが、さまざまなだけに、診断は困難かもしれません。しかし、たとえば深谷先生が朝日にのった写真だけで判断されたように、「酒さ様皮膚炎」が副作用だとなざされるようになったように、「特異性」をアピールすることは可能だとおもいます。
③は…やはり難しいのではないでしょうか。たとえば私が「ふっくん、なんだか、わるくなってる!」とおもうまでに5年が経過しています。「脱ステ医」がみれば、もっとはやく気づくのかもしれませんが、そもそも、ステロイドはぬればいったんはよくなるわけですから…。

以上、ステロイドの「薬害」を裁判であらそうのはまず無理そうです。が…②が有効ならば、「依存性の有無」という争点ではどうなのでしょうか。

そのまえに…本書は、「日本人とクスリ」(p.12-57)という章で、薬の安全性とは一般的に不確実なものであることを、さまざまな方面から指摘しているので、ご紹介します。

《薬の安全性は不確実》
☆情況的不確実性:
患者サイド→体質、薬をのんだときの状態など、個人的なことがらが、薬の作用を変化させる
医師サイド→医師にはある程度危険性を把握しているが、患者には情報がしらされていない場合
☆構造的不確実性:
薬務行政の問題(しばしば、薬を開発した研究者・薬の審査機構・企業が、癒着している)
医療現場の問題(モニター制度による副作用報告が諸外国にくらべて極端にひくい。モニター制度の形骸化が原因?)
☆文化・歴史的不確実性:
化学物質の多用による人体変化(たとえば、CO2の排出の増大など、科学技術の発展による人的災害をさす)
☆根本的不確実性:
「医薬品」は、もともと自然界に存在しないものであり、「副作用のない薬はない」のが、現実。

この章では、薬が安全でありきらない理由をさまざまにあげ、最後にクスリ消費者のわたしたちに以下のような警告をしています。
「薬害とは、基本的には、企業の営利主義、行政や研究機関と企業との癒着の構造に大きな原因がある。と同時に、クスリの消費者自身のクスリに対する無自覚な依存と神秘化もまた、常に薬害の潜在的原因を形作っている」(p.54)。

現代にいきる私たちの「医者にいけば、なんとかしてもらえる。薬をのめば大丈夫」といった「常識」をとうことなしに、ステロイドのこわさが意識されることはないのではないか…とつくづく思いました。
わたしたちがまず、「くすりは異物。副作用はつきもの」と再認識することが、重要ですね。(なのに…「重篤な副作用はない!」といいきる医者って…どうなんでしょうか…)

さて、こうして私たちのクスリへの態度と、クスリのリスクをふまえたうえで…。

《原因は倫理性の欠如なのか》
と、問います。いや、そうだとおもうのです。企業の利益を優先しずぎだろうと…。
でも、この論文集の論者は「それを問いただすことの有効性は、いったいどのくらいあるのか?」とたたみかけます。
なぜなら、それを問うている間に、薬害を発生させる企業のおかれた現状を、企業の内外で展開する医者や国との相互作用の分析を、阻害されてしまうのではないか(P.217)と危惧するからです。(つまり、企業のおかれた現状をみきわめ、医者や国の相互作用を考えることなしに、薬害は発生しつづけると言っています)

《ステロイドは薬害ではないにしろ…》
ステロイドは「薬害」ではないのでしょう。それによって、快適な生活を保障されている人、たえがたいかゆみをしのいでいる人、生命の危機をすくわれた人…さまざまな人がいます。でも、だから「ステロイドは安全」「皮膚科学会の権威のいうことが正しい」ことにはなりません。
なぜなら、ステロイドもくすり。そして、くすりは昔から、「メリットもある毒」だからです。
そのことを、わたしたちは、わすれているのかもしれません。

《ステロイドとアルコールの相似》
「ステロイドとアルコールはにている」とおもいます。
わたしは、ほぼ毎日、アルコール摂取者です。アルコールは、のむとたのしかったり、はなしがはずんだりします。
「仕事おわった〜」のリラックス合図にもなります。
が…うつのときは、「依存症」を危惧しました。う〜ん…こうかくと、やはり「飲み方・つかいかた」の問題。
ステロイドで問題になる人は、本人がわるいといわれてしまいそうですが…。
でも、アルコールによわい人と強い人がいるように、ステロイドにもつよい人とよわい人がいます。
アルコールは「うつ」でめちゃのみしても依存症にならなかった私のような人がいる一方で、毎日夕飯つくりながら一杯のンでいただけなのに依存症になる人もいます。こどもがのんだら、有害です。
佐藤健二先生などが「こどもには、とくに慎重に」と強く主張するように、ステロイドも、そんな側面が、あるようにおもいます。
なのに…「ステロイド依存」という言葉は、いまだ市民権をえていません。

《責任回避としての「リバウンド」という言葉》
「副作用」ならまだしも、「リバウンド」という言葉が、つかわれます。
アトピーで「リバウンド」というとき、薬をやめたせいで、症状が再発し、以前より悪化することをさします。
そのほか、「リバウンド」という言葉がもちいられるのは、「ダイエット」です。ダイエットに「失敗」して、ダイエットする以前より体重がふえることを「リバウンド」といいます。
この言葉…患者の「自己責任」をとうています。ダイエットはあきらかですが、ステロイドも「患者がやめたから、症状が悪化した」「患者の体質のせい」…などのように。
これは、あきらかに医師の、製薬会社の責任回避の言葉だとおもいます。
でも「依存症」も自己責任じゃないのかとおもわれますか?

《「依存症」という言葉を使うことの正当性》
しかし、「依存症」はつねに周囲の影響をふくみます。依存になる物質を提供する第三者が必要だからです。
ステロイドは、ぬればかゆみがおさまります。「かゆい!」とおもったぬりたくなる。手放せなくなる。しだいに、きかなくなる。やめると、いわば禁断症状のように、強烈なかゆみや、発熱、寒け、のどのかわき…などがおそいます。(このまえ、しーな先生にいうのをわすれていました…。ふっくんが9月末から10月のはじめ、まだ半袖をきる人がおおいなか、長袖2枚重ねで長ズボンをはきたがったことを。ただいま11月。もうさむいのに、彼は長袖シャツ1枚、ときに半ズボンで登園しています。たしかに、「禁断症状期」はさったのかもしれません。が、「リバウンド」がおわったのではないとおもっています)

薬害ではないにしろ、その「依存性」を社会的に認知してもらうために、私たちができることはなにか…。
研究者でもなく、政府の役人でもないわたしたちにできることは、やはり地道な「運動」していくしかないとおもいます。
今回のように、新聞に「ステロイド礼賛」的記事がのったら再考をせまる意見をよせる、危機感をもつ仲間がつどってはたらきかけをかんがえる…。アトピーの「患者会」もたくさんあります。
どんな団体に接近するのか…たまたま今回、朝日新聞の記事をとりあげる一連のブログで患者会のバックボーンを深谷先生がしめされていましたが、そんなことも考慮にいれて、慎重になる必要があるかもしれません。

今回、こうして考えてみて、はじめて深谷元継先生が「ステロイド依存」という言葉にこだわっている理由が、自分なりに納得できました。
こんどしーな先生にあったら、「やはり、リバウンドではなく依存性だとおもうのです」と言ってみようかしら。
まさに「環状島」のてっぺんの「内輪もめ」になってしまうかしら。でも、しーな先生なら、彼女の考えを話してくださる気がします。

<きょうのふっくん>
ときどき、かいています。夜、おふろをでたとき「さて、あと一週間、はんぶんこ実験、つづけてみる?」ときくと
「いい。だって、ぬったほうが、かゆくないもん」といいます。
「よかったね〜」たしかに、線状の傷はなくなりました。
「じゃー、すねのところと、足の甲もぬってみる?」ときくと
「それはだめ!!」とおおあわて。そこは、2回ぬりましたが、ひどく痛かったそうです。
というわけで…「もと、貨幣状湿疹、いまおおきなかさぶたとうすかわ、じくじくサイクル」のすね、あしの甲には、保湿剤は当分、ぬりません。あのうすかわが、もっとかたくなって、じょうぶになったら、ぬれるかもしれません。

そういえば、最近、おふろあがりなどに、かならずみっくんが「あ〜、ふっくん。また、足とかきれいになってるね」と言うようになりました。ひっくんもときどき「これで、よかったとおもうよ。そんなに最近、かゆがってないじゃん」と声をかけています。
そんなとき、ふっくん一生懸命「そうなんだよ、ここはちょっとまだかゆいけど、ほら、ここはこんなにきれい!」とみせています。
なんか、みっくんも ひっくんも、ありがとうね。

そういえば…今日で脱ステして2ヶ月となりました。

今日も、長文におつきあいくださり、ありがとうございます。
おやすみなさい。

5 件のコメント:

  1. 「リバウンド」と言うより「離脱症状」と言うべきなんでしょうね。離脱症状は薬物依存の薬理学的原因ですけど、薬物依存の原因はそれだけではないんですよね。これはアルコール、ステロイド、拒食症(!)に共通だと思います。
    皮膚科医じゃないしアトピーの人は診ないのですが、確かにこの問題は気になります。
    ステロイド外用は自分(在宅医)も急性の皮膚疾患には使いますが、その場合は「数日使って効果がなかったら中止。効果があっても1週間以内でやめる」という風に説明しています。自分だけじゃなくてこれがふつうの使い方のはずで、これ以上使うとステロイド皮膚炎になってこじれる可能性がある、とされているはずです。
    その一方でアトピーではステロイド外用薬を長期使用する、というのは不思議な話と思っています。
    (自己免疫疾患での内服薬や喘息の吸入薬についてはまた別の話だと思います。)

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  2. 追記:
    そう言えば、以前医療事故関係のMLでご一緒した隅田さちえDrという皮膚科医も脱ステ医だったと思います。
    浜六郎氏たちの『薬のチェックは命のチェック』にも書いておられた記憶があります。
    すでにご存じかもしれませんが。

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  3. …と思って『薬のチェックは命のチェック』のサイト見たら、いきなり『ステロイド依存』という本が出てきました。
    (すでにご存じでしたらすみません)
    http://www.npojip.org/

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  4. accelerationさま
    コメントをありがとうございます。「知人」以外の人も読んでくださるんだ…と、しみじみうれしいです。
    ステロイド外用の使用期間については、まさにおっしゃるとおりだとおもいます。具体的なクスリ名をいれて検索しても、「継続使用は1週間、医師の指示がある場合のみ2週間まで延長可能」とされているサイトはいくつもみつけました。
    が…現実は、ちがいます。アレルギー学会や皮膚科学会で発言権のつよそうな医師たちのおおくが、「急にやめないこと」「医師の指示に従うこと」を強調しています。
    「使用上の注意の1週間は、どこにいったの?」と心の中でつっこんできました。
    以前のふっくんの主治医であった「つかちに」先生もまた例外ではなく、キンダベートからアンテベートに移行する間、「ステロイド、おやすみしましょう」とは一度も言ったことはありません。
    もし、息子がaccelerationさまのような医師にかかっていたら、私は今もステロイドをうたがわず、このブログもはじめていなかったとおもいます。
    ステロイド使用における「離脱症状」の存在は、マスコミにぜひ注目してほしい!と、最近そこにかなりの期待をかけていました。が…朝日新聞の記事の最終回にまた希望のひとつをけされた思いでした(だいたい、新聞やテレビによわい私の母など、わざわざ切り抜きを持参し、「ふっくん、ステロイドやめていいの!?」とさわぎはじめました…)。
    accelerationさまのようなお医者さんは、どうしたらふえるのでしょうか…。
    でも、こうしてコメントをいただけたことで、世の中まだまだすてたものじゃないと、すこし希望がみえてきました。
    私にできるのは、「ブログをかきつづけること」「みぢかな人に脱ステ宣言して関心をもってもらうこと」ぐらいですが…。できるところまで、やってみます。
    また、accelerationさまも、情報提供やコメント、よろしくおねがいします。

    そうそう、おしえてくださった隅田さちえ先生はサイト訪問ならしたことがあります。あとっぷの山下さんがおしえてくださった2011年2月20日の「ステロイドを使わない治療を考える会」でお話されるようなので、行ってみようとおもいます。
    ほんとうに、コメントをありがとうございます。
    急にさむくなってきました。ご自愛ください!

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  5. 僕はもともと精神科出身なのですが、「急にやめないこと」「医師の指示に従うこと」と言われる薬と言うと向精神薬をまず思います。これも離脱症状があり、(医師の処方によって)乱用され、睡眠薬・抗不安薬を中心に依存の問題があります。
    そしてことの重大さに比べて取り上げられることがとても少ない問題です。
    依存、嗜癖(アディクション)が生まれ維持される、というのは個人というより社会的なプロセスだということも改めて感じました。
    こちらこそ、今後ともよろしくお願いいたします。

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