2010年11月22日月曜日

「名指す」ための言葉-社会問題として提起するために-

2010年11月22日(月)
<「くすり」のもたらす安心感と依存心>
みっくんも、足がかさかさしてきました。かゆがっています。ダンくんは、「なんもぬらんほーがいいんやろ」と放置。
「いや、それステロイドぬってきた人だけだから。時期的にも、みっくんなんかちょっと保湿ぐらいしてもいいとおもうよ」と…。秘伝!メンソレータム塗布。
「みっくんも、おくすりぬるも~ん!」
いつもふっくんがビタミンのんだり「今日は、どうしようかな~」と保湿剤をえらんでぬっているのをみっくんは羨望のまなざしでみていたので、大得意。
「からだにちょっとした『異常』があったときに、なにかできる」ということは、私たちをほっとさせます。
きっとその気持ちが、「くすり好き」につながっているとおもいます。が…。これまた、難しい問題です。
「ちょっとした薬やバンドエイドで、ほっとできるなら、つかえばいい」と思う一方、「これくらいなら、そのうちなおるや」と放置することも必要ではないかと思います。
なお…ふっくんのほうは、またまた「波」がやってきたのかもしれません。寝る前の「かきむしり」かたが、かなりはげしくなりました。赤いぽつぽつした湿疹がとびとびですが、全身にひろがってきています…。これって…。もしかして…保湿しないほうが、よかったのでしょうか…。

<「関心をもつ」ということ>
さて、ノブコフさんのコメントにかんしてダンくんに話していたら…「まー、でも、腰痛でもなんでも一緒やん。しょせん職場は『健常人』以外にはつめたいで」と言われてしまいました。
職場でなかよしさんに話してみると「でも、腰痛のほうが『たいへんだね』とは言われるとおもうよ。なんかアトピーのほうが扱いは軽い気がする。「いたい」より「かゆい」のほうが無視しやすいし。それに…、腰痛はだれでもなる可能性があるから問題にされやすいかもね。アトピーは体質だから、関係ないと思ってきりはなせる。そのうえ、「治療が適切かどうか」なんて問題がからむと、かかわりたくない人はふえるよ」と。
たしかに…ダンくんですら、どうもアトピー治療現場におこっている問題については関心がないようなのです。むしろ、没頭する私を危惧しています(たしかに…私、このブログに時間かけすぎです…。反省…)。
でも、せっかく考えてみたので、とりあえず記録してみます。

<「社会問題化」するために>
土曜日のブログで、「ステロイド使用は、自己決定ゆえではない」と書きましたが、なにゆえ自己決定といえないかは、「周囲の環境」に起因していました。つまり…「ステロイドによる標準治療」の現状が、社会問題化されないかぎり、現状は続くとおもいます。
これまで、「ステロイド裁判」やむかし懐かしい「ニュースステーション」での報道や、ステロイド治療を疑問視する医師や患者さんたちのおかげで、すこしは認知度があります。が、認知度があがれば、まるで「バックラッシュ」のように「標準治療キャンペーン」が展開されます。
私としては、しかし、「ステロイドによって悪化するアトピー患者がいる」という現状を、「とくに乳幼児にはステロイドは必要ないケースがおおい」ということを「社会問題」としてとりあげてほしい。というわけで…。「社会問題にするために、必要なこと」「社会問題を阻害しようとする言説の解明」「社会問題とするための戦略」の3つについて考えてみたいと思います。

<「社会問題」となるための必要条件>
さて、現在私は「ステロイドによる標準治療はおかしい」と考えています。それを公にするために語りたい。
ここで、問題がひとつあるように思います。この「おかしさ」を訴える「共通の言葉」がないのです。
たとえば、私はこの問題を人に語るときのことを、これまでブログでは「脱ステ宣言」とよんできました。
「脱ステロイド」…ふっくんはステロイドをやめたので、まさに状態を示すには最適な表現です。佐藤健二先生や藤沢重樹先生、中村敬先生など「脱ステロイド」という言葉を前面にだしています。
しかし…この言葉は、「ステロイド治療をする」ことが前提にあります。つまり…標準治療先にありきです。これだとなんだか「へ~、やめたんだ」ぐらいてながされてしまいそうです。
「ステロイド禍」という言葉もあります。が…「ステロイド薬害」という言葉とともに、ちょっとインパクトが強すぎる…というか、これだと「ぜんそく」や「リウマチ」など、ステロイドが貴重な患者さんにとって、申し訳ない言葉です(しかし、ネフローゼ治療の現場では、ステロイド依存性とかステロイド抵抗性という現象は認知されているようですが…)。
「ステロイド皮膚症」という言葉もあります。ウィキペディアにも掲載されているくらいですから、これがいいかもしれません。もしくは深谷元継先生がつかっている「ステロイド依存」か…。(そういえば、アトピー協会ではステロイド依存症という言葉を批判していますが…批判のための批判になっているような…)
佐藤先生は「ステロイド依存性皮膚症」という言葉もつかっていますね。とりあえず、「皮膚」に対して使用するのを問題にしたいので、これがいいかもしれません(と、私がきめることではありませんが。でも、でも…私たちは短縮語が大好き。話題にするとき「それ、ステ依存の話!?」「それ、ステヒフの話!?」どっちがいいかしら…(笑))
いや、でも、真剣な話です。「社会問題」として提起するためには、「共通語」は不可欠です。たとえば…「DV」という言葉がなかったころ、夫婦間の暴力は「痴話げんか」でした。「セクハラ」という言葉がなかった時代、それは「職場の花に対するからかい」にすぎませんでした。「セクシュアル・ハラスメント」がいわれだした当初は、ずいぶんマスコミで「からかい」のネタにもなりましが、1989年には流行語大賞になります。以後、「セクハラ」という言葉は、ギャグネタにされる一方で、問題提起する言葉として社会的に認知されていきます。
ある事象を名指し、問題だとするときには、その事象を示す「名前」とその「定義」が必要です。
ぜひぜひ、脱ステを支持される先生たちに、この問題を名指す「名前」をつけていただき、統一見解として発表していただきたいとおもいます。

<「社会問題化」をはばむもの>
さて…「息子が、ステヒフになっちゃって…」(いま、ふと息子の話をするとして考えたとき、「ステ依存」だと「嗜癖」をおもわせるので、ちょっと躊躇しました。「ステヒフ」のほうが、ギャグネタにもつかえるかも(笑)でもでも、こういうことは2chの人たちのほうがセンスいいかも!あーちゃん、なにかいい言葉、ありませんか?)と話し出したとします。
しかし、なかなか関心をよせてもらえない。「あなたの息子の個人的な問題」としてとりあってくれない。「ステロイドはこわくない」という声にともするとかきけされそうになる…。そんな気がします。
ここでは、草柳千早『「曖昧な生きづらさ」と社会-クレイム申し立ての社会学』(世界思想社、2004年)にそって考えてみます。
この本の一節に「人は『問題』を感じ、それを何とかしたいと感じ、他者に自分の感じる『問題』について語ろうとする。だが、『問題』を感じてこなかった、感じていない人々の堅固なリアリティの前に、彼/彼女の『問題』の経験は当人自身の『問題』の一部に還元されてしまう」(p.18)が、あります。
つまり…自分にとって切実な問題であっても、共感をえられる/その確信がなければ、「問題」を感じてこなかった人の解釈を再度うけいれ「これは、自分だけの問題」と閉じてしまったり、「問題だ」と思いつつも「問題がないのに騒ぎ立てる人」とレッテルをはられるのをさけるために沈黙してしまったりする状況をさしています。脱ステを友人に語れなかった人のなかには、そんな経験をした人もたくさんいらっしゃると思います。
なぜ、人々は容易に共感してくれないのでしょうか。
「クレイムを申し立てることは、『問題』を認識していない人々に対して、現実認識の変更を迫ることである。『問題』を認識してこなかった受け手にすれば、それは、自分では疑うことをしてこなかった現実を、他者から問われ否定されるという経験である。(中略)しばしば人は、現実認識の変更という他者からの働きかけに抵抗し、自らの現実を維持しようとする。それによって、この危機を回避し、自分の現実を守り通す」(p.127f.)と草柳さんは書きます。まさに…ノブコフさんの上司が、おー先生が、とった態度です…。
草柳さんは、こうした彼らのとる「『現実』の『問題』化を無効にする方法」について4つに類型化しています。(以下、p.127-158にあります)
①破壊的結果の警告
②人格への還元
③弱者配慮への要求
④グランドルールの宣示 
*グランドルール=「『自然』『合理』『道徳』『社会』『世間』-個々のあなたや私を超えて存在する上位の拘束力」(p.144)
というわけで…「嫌ステロイド」「ステロイドフォビア」「ステロイド嫌い」「ステロイド忌避」といった言葉で検索してみました。
ステロイド忌避からアトピー地獄へなんて、みつけてしまいました…。でも、これはおもにアトピービジネスにたいして怒っていらっしゃるわけですが…。
竹原和彦「アトピービジネス」(文芸春秋、2000年)も、けっこうこわかったです。
②は、ちょっと引用するのもパスです。塗り方が悪いだの、怠けものだの…。対等に話しをする価値もないとか…。くらっ。
③「ママが陥る嫌ステロイドの呪縛」として、そのことで、子どもがいかにかわいそうか(睡眠障害による成長阻害、情緒不安などなどの羅列)が書かれていました。愚かなママのステロイド嫌い…ステロイドは「心につける薬」なんだそうです…(泣)。
④皮膚科セカンドオピニオンというサイトでは、患者がネットであつめる情報はゴミと一緒扱いされています…(とほほ、私もふくまれますね…)。日本アレルギー協会九州支部のK.Kニュースは、もうすこしマイルド…深谷先生がデータとして使用していた古江教授が書くソフトバッシングです。双方とも、一般的な「医師ー患者関係」にそわないこと、メディアにふりまわされることなどを憂慮、つまりグランドルールにそってないことをなげいています。

さて、こうした「バッシング」にどう対応しましょうか…。アトピービジネスを批判することと、脱ステロイドを批判するのは別にしてほしい…。そのほかの対話を拒否するようなバッシングに対しても、「おすきにどうぞ」といいきれないのは、すでに私たちは経験済みです。
でも…こうした「バッシング」をする人たちも、「アトピー治療」で、くるしんだ、なやんだ患者さん、医師、保護者です。
一緒に話せないでしょうか…。
問題意識を共有するのは無理でも、この人たちをさなかでしない主張の仕方は、ないのでしょうか…。

と書きつつも、ちらっと「私って、ことを荒立ててるだけ!?」と不安になってきました…。「クレイム申し立て」をするという行為はたとえブログでも、気合いがいりますね…。

つぎは、藤垣裕子『専門知と公共性ー科学技術社会論への構築へ向けて』(東京大学出版会、2003年)とともに、その「戦略」をかんがえみたいとおもいます。

でも、でも…「ステヒフ」なんて言葉がはやったら、「ステロイドを嫌う人を嫌う人」とも一緒に笑える気はします…。
「わたし、ステヒフはいっちゃったよ〜」「うわ、さいあく〜。わたし、まぬがれてるよ」「私、そもそも、つかってないよ。でも、つらくなったら、つかってみようかな」なんて明るく話せる…。そしたら、またステ使用中の人もやめた人も、つかったことない人も、一緒に「アトピーつらいよね〜」なんて話ができるとおもうのです…。そうなったら、いいな〜。

<きょうのふっくん>
「また、かゆくなってきちゃった〜」と、ちょっとつらそうです。
「保湿剤、やめようか」「やだ、なんかぬりたいもん」「でも…ふっくん、もともと左側のほうがひどかったけど…どうみても左側ひどくなってるよ。でも、右足もかゆいもん」
「右足は、なおってきたからぬってみるって、きのう保湿剤、ぬってみたよね…。関係ないかな〜」「…今日は、ぬらなくていい」
むずかしいです。私にもわかりません。でも…あかぎれ的ひび割れは確実によくなりました。が…赤い湿疹はふえました…。
今日のポーズ(笑)ほんとは手の甲にかいてあるうさぎがみてほしかったそう。

4 件のコメント:

  1. 大きな枠組みで見ると「ステロイド皮膚症」は「二次障害」の一種ですよね。

    さらに、単に疾患それ自体(というのもフィクションかもしれませんが)でなく、治療、さらには社会的な次元まで含めて、障害の社会モデルに基づいて「アトピー障害」というとらえ方をするとかもありかもしれない、とか考えたりします。

    (単なる思いつきレベルですみません)

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  2. 「みんな何かしら我慢してるんやから…」どこかのブログか掲示板で誰かが書いてましたが重度のアトピー患者にとってこれほど辛い言葉はありません。もちろん言ってるかたに悪意はないのでしょう。その方は「癌や喘息がうらやましい。病気と認識してもらえるから…」とも書いていました。言葉に出せないけど僕もそう思ったことがあります。命に直接影響しない病気だけど、もう生きていても意味がないとまで追い込まれるのがこの病気の難しいとこです。だから周りの理解と本人の辛さに大きなギャップが生じます。
    「腰痛我慢してる人も山ほどおるんやで」というのは一番言われる言葉です。(決してダンくんさんを非難してるんではなく、言いやすい例えなんだろなぁと理解してます(^_^))
    僕はヘルニアを患っています。アトピーが悪化する前、というかステさえ使用したらほとんど気にならなかった時、腰痛が一番の悩みでした。何をする時もどうすれば治るか考えていたものです。結果ストレッチで治りました。もちろんヘルニアもちですから爆弾は抱えていますがちょっと調子悪いなと思ったら悪化するまえに、無理しないとかストレッチを念入りにするとかで悪くならないようにコントロールできてます。
    そんな腰痛もアトピーが悪化してからは一切気にならなくなりました。そえはアトピーの辛さが腰痛をはるかに超えていたからです。

    てな感じで何個か病気を重ねればその違いを天秤にかけれるんですけど、やっぱり味わったこといのない人には理解できないんですよね…。だから声にだして「アトピーで身体が限界です。仕事を休ませてください」と言えない。腰痛と比べられるだけでも辛かったのに、「アトピー?水虫と一緒やろ?お前が言ってるのは水虫が悪化したから入院させてくれって言ってるのと同じやぞ」と言われた時には辞表をだすしかないと決意したものです…(水虫で悩んでるかたごめんなさい…)

    中には「全身痒いんやろ?俺は蚊に咬まれただけで何もやる気でーへんのに全身痒くて1日中やろ?それが病気やなくてなんやねん?しっかり治療せーや」と言ってくれた人もいました。こんな風な理解のしかたをしてくれる方はまれでしょうが本当に救われた一言でした。

    僕としては「健康な人には辛さはわからないよ」となげやりにならず、「辛い思いをした自分にしかわからないことがあり、それは優しさに繋がる」と信じています(^_^)


    話はかわりますが今朝の朝日新聞から「子供のアトピー」の特集が始まっています。また辛い内容になりそうです…

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  3. accelerationさま
    こんばんは。コメントありがとうございます!
    そうですよね。私は基本的に長期疾患と障害は、にている部分がおおいとおもっています。だから…ある意味、ひとりめの息子がアスペルガーと診断され、さまざまな葛藤があり、そんな中で「完治をめざす」のではなく、「つきあい方をかんがえる」というナラティブ・アプローチの考え方になじまざるをえず…。その経緯があるために、わりとすんなりアトピーにも適用できたような気がします。
    「二次障害」という言葉もまとを得ているかもしれません。でも、アトピーがもし「清潔志向」「排除志向」の結果の「現代病」のひとつであるとしたら、「二次被害」といえるかもしれません…。
    こうした「障害」「被害」といった状況をどう認知していくのかといった問題は、ノブコフさんの「優しさにつながる」という話とリンクしていくのかもしれませんよね。
    また、いろいろ考えるネタを提供してくださり、ありがとうございます!
    すてきな夜を!

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  4. ノブコフさま
    こんばんは。ダンくん、おおいに批判してくださっていいですよ(爆)。
    ただ、彼がいいたかったのは、「だから、たいしたことがない」ではなく、「痛みは人それぞれ、疾患それぞれ。だからある疾患や障害だけが特別だと主張するのはおかしい」ということでした。
    それでも、私は「それぞれだからこそ、「特別だ」とそれぞれが主張し、認め合っていくことが重要だ」とかんがえています。

    「だまってたえる」という美徳を体現して得をするのは周囲の人、とくに配慮義務がある人(つまり、経営者とか管理者など、権力的な立場にある人たち)だけですから…。
    おたがい、ぐちぐち言って、なぐさめあったり、笑い飛ばしあったり、ときには一緒にたちあがったり…。そんなことができる社会になったら、きっと「みんな」がもっと楽に生活できるようにおもいます。
    (むろん…人には語りたくないときもありますから…語りたくなったら語ってもらえればいいのですが)。

    そうそう、朝日新聞のこどものアトピー記事、たおれそうでした。記者もかわって…しかも、今回は前回にこりたのか「意見募集」の案内すらでていませんでしたね。
    やれやれ…。資本主義社会ですから、広告がだせる側が強いのはいたしかたないのかしら(笑)。

    あと…よけいなお世話だとおもいますが、私がうつで離職したとき、しばらくは無職な毎日を満喫していましたが、そのうちふと「私なんて、いてもいなくてもどーでもいい」なんて、とんでもなくおちこむ日々がやってきました。もしかしたら、ノブコフさんにもそんな日がこないともかぎりません…。
    でも、でも、「いてもいなくてもどーでもいい人なんていませんから!」。あと、そんなときはやはり、うっとーしがられてもいい!とひらきなおって、周囲の人にぐちぐち言ってください!

    すてきな夜を!

    ほんとに、余計なお世話でごめんなさい。
    最近、なかなか就職も厳しいので、つい気になってしまいました。

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