2010年11月24日水曜日

「患者の専門知」と「医師の世間知」

2010年11月24日(水)
<ふっくんの悲哀…>
昨日、知人にあいました。
ふっくんをみて「この人も、ちょっとかさかさだね、アトピー?」ときかれたので、
「そうです」と答えました。
ただいま、自分のがんばりを認めてもらいたい一心のふっくん、ふだんならアトピーを話題にされるのはいやがりますが、今はちがいます。いきごんで、ズボンのすそをめくりました。
「どうしたの?これ?ひどいけがだね~。いたい?」
「ちがうよ! これ、アトピーだよ。すごくよくなってきたんだよ」
彼女が私の顔をみます。
「アトピーで、こんなになる?」
「はい。これ、アトピーなんです。いま、おくすりなしでがんばってるんだよね」
と、私がこたえました。
彼女は「あっ、そう」とあいまいにうなずき、他の人に顔をむけました。
一般的には「ただしい」態度なのだと思いますが、いまのふっくんには、ものたらない態度だったようです(笑)。ちなみに、彼女も医療関係者です。

<それでも、すこしずつ…>
養護教諭をしている知人から、メールがきました。
「まえに、ふっくん、アトピーっていってたよね。どんな治療してる? さいきん、新聞でも「アトピーには、ステロイドを正しく使うのが一番!」って記事でてたし、研修でもそう教えられるけど…。でも、生徒たちみてると、わかんなくなってきちゃって。「お医者さんいったら?」って言っても行かない子もいれば、ちゃんとお医者さんの指示通り薬ぬってるって言う、すごくまじめな子だからほんとしっかり守っていそうなんだけど、ぜんぜんよくならない子もいる。保護者の方針か本人の意志かわからないけどお医者さんに行ってても保湿剤はつかうけど、ステロイドは全部すててるなんて子もいて…。いろんな子に話をきくたびに、ほんとわかんなくなってきちゃった。で、ぴーふけはどうしてるのか、ちょっと気になった」と。
こんなふうに疑問をもってくれる養護教諭って、すばらしいとおもました。
「じつは、わたしもふっくんにずっとステロイドつかってきたけど、なんか悪くなってる気がして…。やめてみたんだ。で、ブログもつくってみちゃいました」とお返事しました。
よんでくれてるかしら(笑)。

<朝日新聞の記事-こどものあとぴー>
朝日新聞で再び、こんどは「こどものアトピー」特集がはじまりました。
さっそく、深谷先生がコメントされています。
先生の視線があたたかくて、なんだかおちつきました。
実は、今日、ふっくんの血液検査の結果がでました。
(あいかわらず、インフルエンザの予防接種の人でいっぱい…。看護師さんもお医者さんも、今日は愛想良かったです。いちおーふっくんの頭部もぐるりとみて、「ふんふん」てな、かんじでした(笑)。)
それがでたら、しーな先生はFAXでいいよとおっしゃってくれましたが、ききたいこともあるし、行ってみようかと主っていました。たとえば、こんなことです。
・ステロイドのリバウンド、依存といった言葉をどう使い分けていらっしゃいますか?
・そのうえで…ふっくんの今の状態は、ステロイドのリバウンドではないのですか?
などなど。
でも、深谷先生のブログをよんで、「どっちでもいいや」という気になってきました。
ふっくんのいまの状態が、ステロイドに起因していようといなかろうと、どっちでもいい。あの人、元気だし、いまの自分の「チャレンジ」をたのしんでもいるようですし、なにより誇りに思っているようです。
ここのところ、ちょっとでも、ふっくんの皮膚に関心をもってくれる人がいれば、彼はズボンのすそをめくり、いちばんひどい部分をみせて「これでもよくなったんだよ。がんばってるの」と言っています。これって、かっこいい(すみません、親バカです…。みせられるほうは、いい迷惑ですよね(笑)でも、保育園の先生たちはみなさん、「ふっくん、えらい!」「がんばってるね!」と協力してくださっています。ほんとうにありがたいです)。
なんか、深谷先生に、「ぴーふけさん、このままいって大丈夫」と背中をおしてもらった気持ちです。うれしいです!

が…ただし…親としては満足でも、わたしの「好奇心」はしーな先生に「つっこむ」ことを求めています(笑)。わたしこそ、病気…(爆)。

<しろうと(!?)アトピー対策>
さて、こうめさんがふっくんの状態を心配してメールをくださいました。
あくまで、なかまうちで、こそっと話題にしているだけですが…と前置きをつけてくださり…。
☆じくじくには、マキロンがかゆくなくていいみたい(これ数々ある消毒薬のなかでマキロンだけがなぜか、かゆみをおさえて、じくじくとさようならできるようです…。いまのとこ、じくじくはなくなったので、こんどやってみます)
☆夜中にしらずにかきこわしているかも…手をひらいた状態でハンカチでおおい手首のところで結んでみては?(たしかに、手袋より、ぬげませんよね…。)
☆じくじくのときに、ナプキンを服の裏からはりつけておくと、くっつかなくていいかも(あ〜!!これすばらしい!)
などなど。
その他…
今山修平先生という方の存在をおしえてくださり…さっそくぐぐってみると、今山先生のところにかかった患者さんたちのブログがたくさん! その方たちの報告する今山先生の姿がユニーク!
アトピーの身体には、綿より絹とか(そういえば、しーな先生もそう言っていたような? しかし…こどもようの絹のパジャマなんて、ネットでも1つしかみつけられなかった…)、いちばんユニークだったのが、「布団はねてるのをかけるな!」でした。私もついついかけちゃうんですよね〜。でも、「からだがつめたくなってはじめて熟睡できる。あたためたらかゆくなってかわいそうじゃないか!」という論理。なるほど〜。じゃー、これから布団はかけずに、でも足がつめたかったらマッサージだけしておきます。(しもやけになられると、これまためんどうなんで…(笑))。
ほかにも、アレルギーで髪がはえなくなっちゃった男の子への説明方法とか、おもわず納得(ちょっと、そのブログはその子の顔写真つきなので…リンクするのを躊躇しました)。
こうめさん、いろいろありがとうございます!

しかし…この患者さんたちの「専門知」ってすてたものではありません!!ローラー針もヒットでしたし。
あしたこそ、アップしようとおもっているのですが、「科学の専門知」についての話で、「真理」をみつけるには時間がかかるし、その「真理」も変化する。しかし、「公共的判断」はつねにくだす必要がある。「専門家(理論上)の専門知」だけに依存せずに、「市民の(あるいは、現実的な)専門知」もとりいれつつ、留保条件付き判断をつみかさねるのが、妥当ではないか…的なフレーズがあるのですが…。
アトピーの治療現場もそうした柔軟性があるといいですよね。でも、これも「こそっ」と、「地下組織」っぽいからいいのかしら…。大々的になるとつねにビジネスにつかわれる可能性がありますし…。


<「病院」とのつきあい方>
そうそう、それに関連して…
最近、「ブログよんだよ」という知人から、アトピー以外のネタでもらう意見として…。
・「私って、医者のいうこと無批判に信用しすぎなのかな?」
・「清潔とか予防とか、ほんとのとこ、どーなの?」
・「私も医者の一言にすごいむかついたことを思い出した。医者の養成、どうなってんの?」
などなどがあります。
むずかしいですよね〜。どこで判断するのか。
ただ…医師には専門知をもっていてはほしいけれど、それふりかざされるのも…どうなんでしょうか。深谷先生みたいに、「だいじょうぶだよ」と声がけができる「世間知」みたいなものは、ぜひふりかけて(笑)いただきたいものですが…。
それに…「専門知」のあり方自体もどうなんでしょう…。
あーちゃんも「私も確実な治療をと大学病院ばかり行ったあげくが、これだよ」と嘆いていたこともあります。
社会が学校化されるにしたがい、人々が「知的権威」に従順になっているのは、たしかです。その「知的権威」のかなり上位に医学とか法学などが、位置しています。
でも、その「知」がなんのためにあるのか…自分たちの「権威」とか「利潤」をうむための「知」になってはいないかとか…。
「知的権威」がどのように産出されているかについては、けっこう私たちは無批判な気がします。
ブルデューの『再生産』は有名だし、ウィリスの『ハマータウンの野郎ども』とか、いろんな形で、「中産階級の知の継承」問題は指摘されていますが、なかなか、教育現場には反映されないようです…。

<きょうのふっくん>
おー先生のところにも、以外にふつーに行ってきました。からだはちょっと悪化しています。
このところ、天気がよかったから、毎日布団もほしているし(って、入れる頃は真っ暗でつめたくなったりしていますが(爆))、掃除機もかけてるけど…う〜ん…。
でも、本人は、「そんなにかゆくないよ」と、いたってのんきにしていますから、私があれこれ言わない方がいいですよね…。
おやすみなさい。

4 件のコメント:

  1. ふっくんのポーズ楽しみにしてます。さすがなかなか役者ですね。

    アトピーの悪化は精神的なストレスに直結していると思います。元谷先生の最新のブログは本当にいい記事でしたね。私自身、最近忙しくておいつめられているので、脚の鳥肌皮膚が悪化してきました。相変わらず、保湿励行。お風呂は1日おきにすべきかなと迷っているところです。

    私はもう5、6年くらい皮膚科にいってないんですよ。休職の証明書かいてもらうのが終わってから、遠方に出向いていたのでいくのがめんどくさくなりました。最近調べたところ担当医は勤務医を辞めて、千葉で開業医になった模様。写真でも送ってお礼の言葉を言いたいな。

    素人対策について。
    子どもには酷かもしれませんが、私は飽和食塩水をお風呂でひたひたつけてから湯船に入ると一瞬痛いですが、痒みが収まります。因幡の白兎は本当は意地悪じゃなくて、治療のためだったりして~と思ったり。
    人によっては標準治療に合わない場合もあるので、もう自分で自分に会うものを見つけていくしかないのかと思います。でも酒でさえ、酔い易い人からざるの人までいることを考えると、治療方法の効き目も個人によって違って当たり前ですよね~

    では、また~

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  2. しつもんです!
    「深谷先生みたいに、「だいじょうぶだよ」と声がけができる「世間知」みたいなもの」
    この「世間知」、「医師の世間知」についてもすこし詳しく教えてください。とても大事なところのように思うので。

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  3. あーちゃん、コメントありがと〜。ふっくんは毎日「あーちゃん、元気かな〜」「また、スカイプしたいな〜」と言ってます(笑)。
    ストレス話はどきっとしました。とにかく、みっくんがいる週末は、ふっくんにとって「スーパーストレス」らしいです。彼にしてみると、「おかーさんも、ひっくんも、みっくんにもってかれる」気分…。せいいっぱい「おとーさんがすきだもん」と言っていますが…。でも、この試練はアトピー悪化しても、くぐってほしい気もしています…。
    おふろなしは…こうめさんにおしえてもらった今山先生もはげしく主張していました(笑)。私がおさない頃は、お風呂は冬場は週に3回ってきまってたな〜とか。
    飽和食塩水は…まさに「海水療法」と同じですよね。
    とりあえず、ふっくんに「マキロンか食塩水か」ときいてみますね(笑)。いま、はなしかけたけど、工作に夢中で「あとでね」と言われてしまいました(笑)。
    でも、コメントもらうと「おー! あーちゃん、いきとる」と確認できて、うれしいです(笑)。ありがと〜〜〜。

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  4. accelerationさま
    「しつもん!」ありがとうございます(笑)。すみません…このタイトル、ほぼ「ごろあわせ」的にかんがえたので…「「専門家の世間知」について記述がすくないとつっこみがはいったらどーしましょ」とドキドキしていました(笑)。
    う〜ん、むずかしいですけど…質問をいただいてからつらつら考えるに、私はひっくんの主治医のいとちゃんが大好きなことに気づきました。
    いとちゃんは、もともとは「基礎医学的」なところにいた人で、かなり精神科医っぽくないとゆーより、そもそも医者らしくないんです。
    で、定期的にひっくんとおとずれて、彼女が私の話をきいてなにを言うかといえば、ほぼ「おかーさん、それムリだから」、「おかーさん、それ高望みしすぎ。ひっくん何才?」「それ、その年の子、みんなできないから」と笑われて、私も「やっぱり!?」なんて一緒に爆笑して、それだけです。ときどき「ねー、ひっくん、おかーさん、あなたに要求しすぎだよね〜」なんて同意をもとめて、ひっくんが「うん、うん」なんてつよく頷いているとか…。

    はっきりいって、精神科医でなくても言えることばかりです。友人なんかは、「それだけ〜!?だいじょうぶ? そのお医者さん」なんて言うんですけど、私はものすごく頼りにしています。
    先生と一緒に、わたしの「不安」を「高望み」とか「ムリ」とか笑うことによって、私は安堵感をえています。「そうだよね〜、この子もよくやってるよね」と、彼のがんばりに目をむけることができる…。
    これって…「専門知」というより、「世間知」だとおもうのです。
    近所のおばさんだっていいそうな台詞ですよね。「だいじょうぶだって」って。もっとも近所のおばさんの場合は「うちの子もね〜」って続きはしますが、それも、やはり人を安心させます。
    う〜ん、いとちゃんとの会話は、非対称ではないのかもしれません。いや、もちろん、「患者さんがパニッくったときは、私たちが感情を代弁してあげるのが必要なのよ」「だから、ひっくんがパニックになったときも、「いまおこれたよね」「わかってもらえなかったってかなしかったよね」とか思いつくかぎりの言葉をかけてあげて。彼はそれによって、自分の感情と言葉をむすびつけることができる」など臨床知にもどづくアドバイスもしてくれます。
    でも、それを彼女は「専門知」としてふりかざしてこない。ひっくんにおこった日常的なできごとを共有してからそれをネタに「相互でつくりあげる」会話を展開しつつ、その中のコメントの1つとしてアドバイスがなされます。
    いとちゃん、すばらしいのです。
    ごめんなさい、こたえになったでしょうか…。
    う〜ん、いとちゃん、ナラティブアプローチとかそんな感じでもないんです。しいていえば…秋葉昌樹『教育の臨床エスノメソドロジー研究ー保健室の構造・機能・意味』(東洋館出版社、2004年)では、カウンセラーと養護教諭の会話のすすめかたの違いについて分析されていますが、その養護教諭的やりとりにちかいかもしれません。(ちなみに、カウンセラー的な会話は「話す者」と「聞く者」の立場が固定化されていますが、養護教諭的会話は、それぞれのこどもについての「在庫知」を共有しつつ、「話し手」と「聞き手」がめまぐるしくいれかわえる対称性を確保した会話が展開されているとされています)。
    すみません…よけい、ややこしかったでしょうか…。

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