2010年11月18日木曜日

克服から共生へ

2010年11月17日(水)
<おー先生のところに、いってきました>
さて、今朝ふっくんが、「病院、いってもいいよ」というので…気がかわらないうちにと、行ってきました。
夕方いきましたが…また、超混み。インフルエンザの予防接種の人、かなりおおかったです。
いつもなら、こどもをかきわけて、ブロックで遊ぶか、絵本をよむかするふっくんが、今日はなぜか、ぴたりと私に背中をくっつけて無言で座っています…。「無言で」なんて、日頃のふっくんにはありえません。ふっくんも、今日の診察はかなり覚悟してきたのではないでしょうか。
そりゃ、そうだとおもいます。私もかなりイヤでした。たとえるなら…ぜったいにふられるとわかっているのに、告白する気分!? う〜ん、ちがうな…。「相手にいやがらせだとおもわれてしまったらどうしよう」という気分? いずれにせよ、きもちは暗かった…だから、診察室の前によばれたときは、いつも以上に明るくふっくんに話しかけていました。

が…わたしたちの前の人、なかなかでてこない…。「とりあえず、顔のステロイドはやめましょう」との先生の声がきこえてきます。耳がぴくり。
でも、つづいたのは…「つけはじめは、ぴりぴり痛むかも」「1週間は、がまんして。でも、たまにあわない人もいるから…」「日に当たる予定がある日はやめて」う〜ん、どうやら、プロトピックの説明をしているらしい…。がっかり。
でてきたのは、20代の女性。ここは、アレルギーの看板もだしているためか、ときどきおとなの患者さんもまじっています。

<ステロイドのリバウンドなんて、ない!?>
先生は、「どうなった?」と、ふっくんの顔と頭をみて「う〜ん、かわらんね」と一言。
「でも、先生、ちょっとはよくなったんですよ」と手をみせましたが
「これが?」と、ろくにみてくれませんでした。「で? 今日はなに?」
「血液検査してほしいんです。実は、脱ステをこころみてる先生のところにいってきました」
「で? これ、何?これがわかって、どうだっていうの?」
「いや、その先生がおっしゃるには、栄養の吸収がうまくいなかいために、皮膚があれてるのではないかとおっしゃって」
「で、どうして、わたし?」
「そこの病院では、こどもの採血ができないそうです。それに、遠いから通院するのも大変でしょうと。できたら、近所のお医者さんに協力してもらって一緒に治療できないかととおもわれたようです」
「ふ〜ん。どれどれ」彼女は紹介状をみます。
「ステロイドのリバウンドはみとめられないって、そもそも、そんなのないわよ」
と、彼女は鼻で笑いました。
うわ〜っ。
しーな先生、もしかしてこれをみこしての「リバウンド」だったのでしょうか。
もし、ここで「依存はみとめらない」と記載されていたら、おー先生の反応はどうだったのでしょう…。
「だけど、なんで、この病院で採血できないの? わけわかんない。けど、ま、とにかく、今日は、血液検査だけすればいいんだよね。いいよ、やるから」
そういうと、彼女はもうふっくんには関心をまったく示さず、看護師さんたちに指示をだしはじめました。

採血には、ふたりの看護師さんがつきあってくれました。めがねきらりん看護師さんが、採血担当です。
なんだか、前2回、私たちに距離をおこうとする雰囲気だった看護師さんたちですが、気のせいか、今日は親切。
ふっくんにもにこにこはなしかけ、「おかーさんいなくても、大丈夫だよね」と私は外にだされます。
採血後は、「すごいね〜」「よくがっばったね|とほめちぎる看護師さんに手をひかれ、うれしそうにふっくんが出てきました。

結果は、1週間後です。どうなることやら。

本日の治療点数は、再診料70点、外来管理加算52点、血液検査料426点 でした。

それにしても、「なんで、採血してくれなかったの」と看護師さんたちも首をひねりまくり。
どうしてでしょう…もしかしたら、しーな先生の「運動」?なるべく地域の医者に脱ステに参加してもらうという? う〜ん。

ふっくんは、受診後もおちついていて、ひっくんにも「今日さー、くすりなかったから、薬局でおもちゃもらえなかったよ」と報告しているだけでした。
「でもさ〜、今日、先生、ふっくんの頭みてたけど、今度から、足みてもらおうよ」と言ってみました。
「いいけど、なんで?」
「だって、頭はかさかさだけど、たいしてかゆくないんだし、それでいいじゃん。いちばんひどいの足なんだし」
「うん、まーいいけどさ〜」
とはなしていたら、ひっくんが「ところで、それってなおるの?」と。

<病気との「おつきあい」=共生する>
「う〜ん、足はもっときれいになるともうけど、でも、かさかさだったり、すぐかゆくなるのは、なおらないとおもうよ。だって、ふっくん、アトピーなんだもん」
「なおんないのかよ〜。ぼくのアスペもなおらないんだよね」
「うん。なおらない」
「さいあく〜」とふたりが、大声をあげました。
「そうかな〜。いいよ、よわいとこがあるって。誰だってなにかしら抱えていきてるわけだし」
「え〜。病気とかは、しないほうがいいんだよ」
「でも、してはじめて、人の気持ちがわかるとか、あるじゃない。おかーさんは、しんどいとか、できないって人の気持ちをわかる人になってほしいな〜」
「でも、めんどうじゃん」「そうだ、そうだ!」と、また二人が同調。
「だからさー、きみたちもたとえば「アスペ全開、いきるのしんど」的なときと、「あれっ? アスペだっけ」的なとき、あるでしょ。だから、「ここ」ってときに「アスペだっけ」状態になるにはどう調整したらいいのか、「全開」になっちゃったら、どうしのぐかとか…そんなつきあい方をかんがえていってほしいと思うし、自分でそれが判断できるようにおかあさんは、手伝いたいとおもってるよ。これは、アトピーも一緒ね」
「う〜ん…なんかな〜」
「とにかく、きみたちは、なおりません。だから、なおすことは考えない。つきあい方をかんがえてください」
と、おわりました。

<「病気」と「共生」するVS「病気」を「同化」する>
この「病気とつきあう」という考え方は、私のオリジナルではありません。
これまでは、「病気」とは「克服」するものでありました。ところが、「ナラティブ・アプローチ」では、ちがいます。
「病気を克服する」とは、私たちの文化でドミナント(主流)な物語だとすれば、そのオルタナティブ(かわりとなる)物語をかんがえようとします。
たとえば、ドミナントストーリーでは、「摂食障害」は「悪」であり、「完治させるもの」「克服するもの」だとすれば
オルタナティブ・ストーリーでは「摂食障害」のおかげで、ここまでつらい現実をしのいでこれたのだと、「評価」します。
ただ、つらい現実をしのげるようになったら、ちょっと「摂食障害」にもやすんでもらってもいいよねと。
つまり、ひとつの考え方として、「摂食障害」を肯定的に評価し、「つきあうもの」「共生すべきもの」とかんがえる方法です。
これは、むろん、「リストカット」「アルコール依存症」などなど、さまざまなものに応用可能です。

*参考として…私は、こんな本で勉強しました。
S.マクナミーほか『ナラティブ・セラピーー社会構成主義の実践』(金剛出版、1998年)
野口裕二『物語としてのケアーナラティブ・アプローチの世界へ』(医学書院、2002年)

障害の考え方も似ています。
昔は障害といえば「悪」であり、「完治させるもの」「克服するもの」であり、「健常者」にすこしでも近づくべき、努力するものでした。
しかし、当事者運動が世界各地でおこり(イギリスとかアメリカがはやかったです)、「障害」を障害たらしめているのは、「社会である」と告発します。身体的な機能に「障害」があったとしても、それをたすけるものがあれば、それは生活上の「障害」にはならないのだと。たとえば、足が不自由な人がいたとして、「階段しかない」「自力で歩くことをもとめられる」社会にいきていれば、その足の不自由さは、「障害」です。しかし、「車いすの使用が可能」「スロープやエレベーターがいたるところに設置されている」社会であれば、足の不自由さはすでに「障害」ではなくなります。
「障害学」という学問では、従来の「健常者にちかづけよう」とする「ドミナント・ストーリー」を「医学モデル」とよび、それに対抗して「機能障害があるままでも、生きやすい社会をつくろう」とする「オルタナティブ・ストーリー」を「社会モデル」とよび、普及させようととりくんでいます。

さて、こうした考え方は、社会構成主義とか構築主義とかよばれる考え方とともに出現してきました。
私は、専門家ではありませんが…ふと、これって「ぜんぶ一緒じゃないか!」とあらためて…(社会学徒のみなさん、笑止でしょうが、ごめんなさい!(笑))
国際関係も…昔は、「帝国主義」「植民地主義」が当然。だから他民族を「同化」することは、「統治手段」でもあり「恩恵」でもあったわけです。それは「言葉」「教育」「宗教」「生活習慣」あらゆるところに及びました。…ところが、「同化される側」にしてみればそれは「強制」であり「自文化の抹殺」です。で、反乱がおきます。
ポストコロニアリズムとは、この「植民地主義」「同化支配」を反省するものでありました。そして、「多文化共生」がさけばれるようになります。

あらためて…医学も、ドミナントストーリーにのっかっています。
医学にとって、たとえば「アトピー」は、「完治させるもの」「克服するもの」です。だから「征服」したい。
薬その他、さまざまな「療法」で、アトピーを「同化」させようとしたり「排除」しようとやっきになる。しかし、アトピーのほうは、わけあって出現しているわけですから、なんとかそこをまぬがれようとします。
医学の志向は、近代化する過程で支配的だったイデオロギーである「植民地主義」をいまだ脱していないということでは…。

<脱線〜本の紹介>
*「これじゃー、納得いかない!」という方は…川本隆史『哲学塾・共生から』(岩波書店、2008年)にあたってみてください。
ポストコロニアリズムについては…私は本橋哲也『ポストコロニアリズム』(岩波書店、2005年)がわかりやすいとおもいます。が…「ポスコロなんて、言葉しらん」という方は、石田雄『記憶と忘却の政治学ー同化政策・戦争責任・集合的記憶』(明石書店、2005年)などを先によまれると、「植民地主義」の輪郭がはっきりして理解しやすくなると思います。
脱線ついでに、すみません! どこかで一度書きたかったので…本橋哲也さんは、同じ2005年に同じ岩波書店から『一冊でわかる ポストコロニアリズム』というロバート・ヤングの訳書もだしています。で…アマゾンの書評、この2冊に同じ内容の書評がのっています。これ、アマゾンのミスでしょうか…。本の内容は、まったくちがいます。新書の方はコロンブスの話からはじまるまさに入門編ですが、訳書の方は前知識がないと苦しいです。

で、すみません、「アトピーと共生する」話をしたいわけですが、さきに、もうひとつだけ

<医学は科学、イデオロギーとは無縁だ!>
と、おもわれる方に…。
残念ながら、医学もその時代と地域の文化背景に、おおきく左右されます。
たとえば、夏井睦『傷はぜったい消毒するなー生態系としての皮膚の科学』(光文社、2009年)には、パスツールが菌を発見した際に、それを「撲滅すべきもの」と考えたことによって、のちのちの医学をおおきく転換させたと書いています。
「菌」を発見する、これはただの事実です。しかし、私たちは、それを解釈するときに身近なストリーにのせて、その発見を理解しようといます。つまり「科学的な発見」は、発表される段階でおうおうにしてその発表者のイデオロギーで脚色されてしまいます。
支配的な文化から、つねに距離をおくのはむずかしい。支配的文化の文脈にそった説明は、時代にうけいれられやすい…。私は、そんな気がしますが…。

なお、こうした指摘をするのは、私がはじめてではありません(笑)。
たとえば、ロンダ・シ−ビンガー『ジェンダーは科学を変える!?ー医学・霊長類学から物理学・数学まで』(工作舎、2002年)など、おもしろかったです。

<アトピーとの共生>
すみませんでした。というわけで、ぜんぜんこんな長い説明は不要だった気がしますが…、ポストモダン的にというか、前近代的にというか、「アトピーと一緒にくらせばいいよ」が結論です。
だから、「頭皮のかさかさくらい、ほっといてよ」と…。
すねが、じくじくになって、感染症になったときだけこわいので、そのときは近代的医療でもって対処してほしいと思うわけです。だから、おー先生、「これからは、毎回、足に着目してください」と、今度行ったら、お願いしてきます。

ちなみに、きょうはふっくん「もう、保湿剤もどっちでもいいや」と、あかぎれになりそうな手にだけ、保湿剤をぬってねました。

右はきれいになってきたものの…
手はすこしずつきれいになっています。

2 件のコメント:

  1. はじめまして。私は現在佐藤先生のもと、脱ステ・脱保湿治療のため入院しています。朝日新聞に記事の時にGoogleでいろいろ検索していたらこちらのブログを発見して、それ以来毎日見させて頂いてます。

    ふっくんみたいな小さいお子さんが頑張っているのを見て励まされ、お礼のメールさせて頂こうと思ったんですがメール欄がなさそうやったんでコメントさせて頂きます。僕は10歳ごろからステを使い始め、26歳の時に全身に発疹。そこjから2年半内服ステを飲んでも治まらず、身体に限界を感じたときに佐藤先生を知り、治療に入りました。経過は良好で、いままで莫大な費用を投じてやってきた治療はなんやったのかとつくずく感じています。

    アトピーは本人も辛いけど、親御さんはもっと辛いはず。ただこの年になって治療を始めると失うものが多すぎます。僕は仕事を失いました。アトピーの治療、アトピービジネスに莫大な費用を投じてきました。元気な身体ならできたであろういろんな楽しみを失いました。私自信は前向きにこれからを楽しむつもりですが(^_^)

    お子さんの治療、本当に大変やとは思いますが将来はステロイドを使わなくてよかったと思えるはずです。頑張ってください!ふっくんが堂々と脱ステできる世の中になるように、私も元気になったら声を上げたいと思います!その頃にはふっくんのアトピーは消えてなくなってると思いますが(^_^)

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  2. 暢行さま
    はじめまして。コメントありがとうございます!
    「ふっくん、はじめて、同じ脱ステしてるおにいさんから、メールがきたよ!」というと、ふっくんとんできました。「よんで、よんで」。
    真剣な顔で聞いていました。よみおえると「あっ!最後に、にこにこマークがある!! ふっくんに笑ってくれたんだよね」と、満面の笑み。
    ほんとうに、ほんとうに、はげまされたのだと思います。
    ありがとうございます。
    メール欄がないこと…気づきませんでした。というか、「そういうのが、つくれるんだ〜」とはじめて思い至り、さがしてみましたけど、よくわかりません(泣)。すみません。ブログはじめてで、よくわかりもしないのに、とにかく毎日、いてもたってもいられず、みきり発車してしまいました(笑)。
    暢行さんも、職を失われたり…きっと、これまでたいへんな思いをされてこられたのだとおもいます。でも…このブログに登場するあーちゃんも、いまはたまに保湿、ときどきひっかっき傷にはキズパワーパッドでしのげているようです。アトピーが「悩みの種」から「むかしのケンカ仲間」くらいに位置づけがかわるといいですね。
    暢行さんにとって「今日もいい一日だったな〜」と眠れる日が、たくさんくることを願っています!
    じつは…ちょっと、うつうつとしていました(笑)。今日のブログは、そのうつうつ描写からはじまるかもしれませんが、暢行さんのおかげで、元気におわれそうです!
    ふっくんも今日は機嫌よくねました!
    コメントくださったこと、深く感謝します。

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